彫刻家の名はブリャート語で「成功をもたらす太陽」という意味である。彼の先祖は、名前と運命は神秘的な形で繋がっていくものだと考えていた。幼年時代、ナムダコフは重い病気に苦しんだが、伝統的な医療では治療の効果を得られなかった。絶望した両親は少年をシャーマン(霊能力者)のところに連れて行った。シャーマンの女性は少年の病を治してくれたが、病気は自然とのつながりを断絶したことに対する代償だと言った。翌日にはすっかり元気になった少年は、それから自然や自身のルーツとの繋がりを大切にするようになった。
芸術家としての才能は遺伝であった。一家には多くの職人がおり、父親は有名なブリャートの画家であった。ダーシは言う。「創作への愛は先祖、そして両親から受け継がれたものです。彼らはとにかく常に新しいことを学ぶことができる努力家でした。大家族を養わなければならなかったのですから。そうしてわたしたちの家族の中には工芸、創作、そして発展への関心が生まれたのです」。
故郷ブリャートの村で、ダーシは、おとぎ話に登場する生き物や、神秘的な霊、自然の力にまつわる古代の仏教の伝説をたくさん聞いて育った。そこでこれらがダーシの創作の主なテーマとなっている。
才能が認められるまでの道のりはやさしいものではなかった。ダーシは宝石職人として働いていたが、その仕事で得たお金で銅などの材料を買い、彫刻作品を作った。妻は反対しなかった。彼の芸術家としての才能が開花することだけを願っていたのである。
2000年、ダーシは33歳で、初めて個展を開いた。最初はイルクーツク、そして作品はその後、ブリャーチヤ、そしてモンゴルでも展示された。まもなく、モスクワの中央芸術家会館でのグループ展への参加を持ちかけられたダーシはモスクワに移住する。そして1年後には、モスクワで個展を開いた。そこから彼の作品はニューヨークから広州まで、世界で展示されるようになる。
ダーシは言う。「以前は、自分の作品は、自分の地域の人にとってしか面白くないと思っていました。しかし、故郷以外の場所の人にも気に入ってもらえるということが分かったのです。わたしの作品が何か新しいもの、気分を高揚させるものとして興味を持ってもらえたらと思っています」。
現在、彼の作品はロシア民族学博物館、エルミタージュ美術館、そして世界の多くの美術館に収蔵されている。
2年前にロンドンのハイドパークに建てられたチンギスハンの銅像
Dashi Namdakov Art Foundationモスクワの地下鉄で新たに建設中の駅「ノヴォモスコフスカヤ」にもダーシの作品が建てられることになっている。
ダーシの作品の中でも傑作の一つとされているのが、シベリアのトゥヴァ共和国の首都クィズィルにある「皇帝の狩猟」と言う作品である。
「トゥヴァは、古い歴史を持つ驚くほど美しい場所で、感動させられます」とダーシ。
銅像「皇帝の狩猟」
Dashi Namdakov Art Foundation「儀式の詩的な美しさを、科学的にではなく、自身のイメージに基づいて表現しようとしました。そばに偉大なるエニセイ川の始まる場所があり、周りにはサヤン山脈に囲まれていて、空気の中に壮大さが漂っているのです」。
クィズィルのエニセイ川岸と「皇帝の狩猟」。バックに見えるのがダーシの別の作品「アジアの中心」。
Dashi Namdakov Art Foundation世界を旅行し、イルクーツク、ロンドン、モスクワで生活したダーシは、有名な彫刻家として故郷ブリャートの村に戻ってきた。
「わたしの故郷、ザバイカリエ地方のウクリク村はこの数十年ですっかり人がいなくなり、多くの村と同じように、地図から消えてしまうところでした。そこでわたしは地元の人々と一緒に、村を活性化することにしたのです」。
2021年8月、彼はここに工房を作り、木彫の公園「トゥジ」をオープンした。ブリャート語で「工芸の谷」を意味する「トゥジ」という名の観光地を作る計画だという。
トゥジで、彼は木を使った創作に力を入れるようになる。「わたしにとってこれは新たな挑戦です。木はこれまでのものとは違った材質で、幹の本質を壊さずに、イメージを探し、材質とのハーモニーの中でそれを表現するというのはとても興味深いものです」。
「孫たちが10年後に喜んでここを訪れ、一緒に木を使って何かを作り、ブリャートの言葉で会話ができることを願っています」とダーシは言う。大都会からタイガに避難したダーシは自由を手に入れようとしている。
以下に、ロシア内外で見ることができるダーシ・ナムダコフの作品を紹介する。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。