ソ連で初めてゴミからインスタレーションを作った彫刻家

ヴァジム・シドゥールとその作品『預言者/世紀の微笑/手品師』

Moscow Manege/russiainphoto.ru
 ヴァジム・シドゥールは、社会主義リアリズムの保守的な芸術界においてはあまりに革新的だった。彼の作品を基にした記念碑がドイツの至る所に建てられているが、ロシアでは彼のことはあまり記憶されていない。

『怪我人』、1963年

 ヴァジム・シドゥール(1924-1986)の最も有名な彫刻は、『怪我人』だ。シドゥール自身も第二次世界大戦で負傷し、障害を負ったのだった。彼が前線に送られたのは18歳の時だった。1944年、ドイツ軍の狙撃兵の放った弾が彼の顎を砕き、顔の半分が損壊した。 

 彼は奇跡的に一命を取り留めたが、戦争の恐怖は彼の顔に刻み込まれた。傷跡を隠すため、彼は生涯髭を生やしていた。恐ろしい記憶から解放されようと、シドゥールは記憶を作品にし始めた。 

『踊る傷痍軍人』

 傷痍軍人や苦痛のテーマが、彼の彫刻、線画、模様入りの陶器の皿には見られる。シドゥールの作る脚や腕を失くした退役軍人の像は、愛する者を抱き、ダンスを踊る。 

『ウィーン椅子に座するヴィーナス』、ヴァジム・シドゥールの工房

 戦争を憎み、平和と創造を希求する強い思いを持つシドゥールは、常に愛や人間の誕生、女性原理のテーマに向き合った。芸術的探求がエロチックな実験につながることもあった。

『暴力犠牲者慰霊碑』、ドイツ、カッセル

 シドゥールは半生をかけてさまざまな戦争の戦没者や負傷者を表象し、彼の彫刻はすべて非常なまでの悲痛に貫かれている。シドゥールの作品を基に、ドイツではいくつかの記念碑が設置された。 

『トレブリンカ』、ベルリン、1966年

 彫刻家がドイツで人気を得たのは、ドイツ人スラヴィストのカール・アイマーマヒャーによるところが大きい。シドゥールの作品に感銘を受けていたアイマーマヒャーが、彼の最初の国外展覧会を企画したのである。 

『呼び起こす者』、デュッセルドルフ

 「数百人、数千人、数百万人が暴力で死亡した。弾丸、絞首台、爆弾、ガス室、強制収容所、拷問、死刑――こうしたことを列挙し続けることはできない。きりがないからだ。いつかは終わるはずだという気がする。だが人類は、理性を失ったかのように、何も学ばない……」とシドゥールはアイマーマヒャーとのインタビューで話している。

『学者の頭(アルベルト・アインシュタイン)』(中央)、ヴァジム・シドゥール美術館

 1962年、フルシチョフ総書記はモスクワでの現代芸術の展覧会を激しく批判し、いかなる抽象化とも戦う方針を定めた。絵画や彫刻はより分かりやすい(そしてより愛国的な)ものでなければならなかった。 

『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』ヴァジム・シドゥール美術館

 シドゥールの創作物はソ連では評価されなかった。彼の彫刻は前衛的であっただけでなく、勇壮さに欠けていた。彼の作品が見せていたのは人々の苦悩や弱さであり、功績ではなかった。国外でのシドゥールの人気は状況をいっそう深刻にし、間もなく彼は諜報機関に目を付けられることになった。

ヴァジム・シドゥールとその作品『鉄の預言者たち』

 シドゥールはソ連芸術家同盟からの除名の危機に晒された。当時のソビエトの彫刻家にとって、これは事実上、工房を没収され、プロとして創作に取り組むことができなくなることを意味していた。

 シドゥールは「地下」に潜り、墓標彫刻の制作で収入を得始めた。

『プーシキン市ファシスト・ジェノサイド犠牲ユダヤ人慰霊碑』

 だが人類の運命は作家を悩ませ続けた。1970年代には、彼は森を歩き回り、人間が捨てた金属を集めるようになった。彼は、森を清掃し、理性を欠いた人間から守っているのだと話していた。このゴミは間もなく彼の作品の材料となった。

『埋葬されなかった者の慰霊碑』、アフガン公園、モスクワ

 

「森を歩くと[ゴミは]ひとつも避けられない

まさにここで

私は多くのものを見つけた

それらはのちに表した

私と世界の関係を」

 

『棺アート』

 シドゥール自身は自分の創作ジャンルを「棺アート」と呼んだ。

 シドゥールの彫刻はペレストロイカ後にようやくロシアで具現化した。彫刻家の死後の1991年、サンクトペテルブルク郊外に第二次世界大戦で命を奪われたユダヤ人の慰霊碑が建てられた。

 1992年、モスクワのシドゥール美術館からそう遠くない場所に、戦没アフガン兵を追悼する『埋葬されなかった者の慰霊碑』が作られた。現地住民はこれを「悲嘆に暮れる母たち」と名付けた。慰めようのない女性らを象った3体の像が、もう二度と見ることのない自分の子供たちの墓に頭を垂れている。

『戦後 母と子』

 シドゥールは芸術のいかなる流派とも距離を置いていた。彼は社会主義リアリストではなかったが、かといって非公式ソビエト芸術の集団展覧会に参加することもなかった。彼は独自の道と言葉を探求し、自身を「他の惑星から来たよそ者」と呼んでいた。 

 モスクワにシドゥール美術館が開業して今年で30年になる。 

 

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