シルヴェストル・シチェドリン(1791〜1830)
才能溢れるシチェドリンは若くしてペテルブルク絵画アカデミーに入学し、卒業制作で金メダルとヨーロッパ旅行のための奨学金を手にした。1818年、シチェドリンはイタリアを訪れたが、この国に魅了され、残りの人生をここで過ごした。彼にとって重要なのは戸外制作だったが、自身の技法を発展させ、色彩、色調にこだわった。ローマ、ナポリ、ソレントなどの風景を描いた作品はロシアの主要な美術館に保管されており、19世紀初頭のロシア芸術にとって革新的なものとなった。
カール・ブリューロフ(1799〜1852)
ブリューロフは長年にわたりイタリアに暮らし、イタリアを題材にした作品を複数残している(「イタリアの朝」はニコライ2世夫人のアレクサンドラ・フョードロヴナに贈られている)。ブリューロフはギリシア、トルコなども旅し、いくつかの風俗画を描いた。外国での生活を総括する最大の作品となったのは、もっとも有名な「ポンペイ最後の日」。ヴェスヴィオ火山の噴火によるカオスと恐怖が再現されている。
イワン・アイヴァゾフスキー(1817〜1900)
アイヴァゾフスキーは海を題材にした絵画を中心に描いた。ロシアでもっとも有名な海洋画家であるアイヴァゾフスキーは、サンクトペテルブルクのネヴァ川、黒海、クリミアなど祖国の海の絵を数多く残した(クリミアでアイヴァゾフスキーが好んで絵を描いた岸壁には、彼の名がつけられている)。しかし、アイヴァゾフスキーはヴェネツィアやナポリ、トルコのコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)などの風景画も描いた。アイヴァゾフスキーはヨーロッパの最端であるリスボンも訪れた。
コンスタンチン・コローヴィン(1861〜1939)
19世紀から20世紀にかけての主要な舞台美術家の一人であるコローヴィンは題材を求めてたくさんの旅をした。また1900年に開かれたパリ万博のロシア館の監修を行ったコローヴィンは、フランスをなんども訪れている。このほか、フランスの印象派の多大な影響を受けており、パリをテーマにした作品にはそれが色濃く現れている。1920年代にコローヴィンはソ連からパリに亡命した。
イリヤ・レーピン(1844〜1930)
パリを愛したもう一人の画家は、「ヴォルガの船曳き」で有名なレーピン。絵画アカデミーの奨学金で、ヨーロッパを旅したレーピンは、ローマやラファエロにはあまり魅力を感じず、フランスの首都パリに落ち着くことにし、ここで工房を借りたほどであった。ロマンティックな街で過ごした数年のうちに、傑作「水の下の王国のサトコ」を描き上げたほか、パリをテーマにした有名な作品を複数残している。
ワシーリー・スリコフ(1848〜1916)
スリコフは何よりもロシアの歴史をテーマにした壮大な作品「銃兵処刑の朝」、「大貴族夫人モロゾワ」、「アルプスを横断するスヴォロフ」などで有名であるが、イタリアとスペインを訪れた後に描いた素晴らしい水彩画も同じようによく知られている。