これはおそらくロシアのツァーリの正装の帽子の中で最も有名なものだ。金、エメラルド、ルビー、スピネル、真珠で作られ、クロテンの毛皮で縁取られている。この帽子がキプチャク・ハン国のウズベク・ハンからモスクワ公イワン・カリターへの贈り物であり、キプチャク・ハン国の宝石職人によって13世紀末に作られたものだという説が有力だ。
名称は、これがビザンツ皇帝からキエフ大公のウラジーミル・モノマフに贈られたものであるという15世紀の伝承に由来している。
この帽子は17世紀末までロシアのツァーリの戴冠式で使われた。
この金を打ち出して作られたイコンには、11世紀の聖十字架でできた貴重な十字架と、聖墳墓とその蓋の3つの石を使った胸間聖像が象られている。
これらの聖遺物は、1600年代初めのボリス・ゴドゥノフの治世にモスクワにもたらされたとされている。
聖十字架は1547年まで戴冠式で用いられた。
ルビーやトルコ石、トルマリンの象嵌を施した金の板でできたこの贅沢な玉座は、モデスト・ムソルグスキーの有名オペラで知られるボリス・ゴドゥノフ帝のものだった。
イラン人職人の手で作られた玉座は、シャー、アッバース1世からの贈り物で、2世紀近く用いられた。
これは兵器庫にいくつかある王笏の一つで、1613年のミハイル・フョードロヴィチの戴冠式で用いられた。
この高級品は後期ルネサンスの様式で西欧の職人によって作られたものだ。
王笏とセットの権標もまた17世紀初頭に西欧で作られたものである。
球の上半分には、聖書に基づく皇帝ダビデの生涯の数場面を描いたレリーフがある。
権標は大きなダイヤモンドとエメラルド、ルビー、サファイアで飾られている。
88の輪からなる金の鎖は、ロマノフ朝最初のツァーリ、ミハイル・フョードロヴィチのものだった。
一つひとつの輪に文言が刻まれているが、これは全体で一つの文章を成しており、至聖三者への祈りや当時のロシアの領地の名などが記されている。
ダイヤモンドの十字架は、1662年にクレムリンの工房で作られ、君主の戴冠の際の正装の一部となった。
この品にはちょっとした秘密がある。中央に一回り小さい十字架がもう一つあり、取り外せるようになっているのだ。
1682年に子のないフョードル3世が没すると、貴族間の陰謀によりその2人の弟、イワンとピョートルが同時にツァーリの座に就くことになった。
戴冠式では「病弱で知恵の遅れた」15歳のイワンがモノマフの帽子(この記事の1で紹介したもの)を授かり、一方10歳のピョートルのために、この負けず劣らず高価な複製品が作られた。
イワンとピョートルのため、クレムリンの工房でこの異様な銀製の双玉座が作られた。
バロック様式のあずまやを思わせる豪華な玉座には、小窓を持つ第3の席があった。
それは10歳のツァーリ、ピョートルの席の後ろにあり、指導係が座るためのものだった。
この戴冠式の正装用の帽子は、ピョートル大帝の兄、イワン・アレクセエヴィチ(在位1682年-1696年)のものだった。
これがクレムリンの工房で先代のツァーリらの貴金属やダイヤモンドを再利用して作られたというのは興味深い。
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