ロマノフ家の最も価値ある遺産:皇帝の王冠をめぐる5つの事実

エルミタージュ美術館
 王冠が欧米に売却されなかったのは偶然にすぎない。ロシア帝国最後の皇帝の「刑吏」が巨額の取引の準備を進めていたからだ。翻って現在では、王冠の運命は、たった一人の人間しか決められない。

1. 2人のスイス人によって制作されたが、彼らはお互いを憎み合っていた

左:ジェレミ・ポジエの肖像画、 1762年。

 この皇帝の王冠が制作される以前、ロシアの皇帝たちは、戴冠式に際し、1回限りの王冠を用いていた。 王冠をめぐる状況は、1762年にエカテリーナ2世が即位したときに変わった。彼女は、自分の戴冠式で用いる王冠について、スイス人宝石商、ゲオルグ・エカルトと、やはりスイス人のダイヤモンド細工師、ジェレミ・ポジエに委任した。その際、できばえが見事でなければならないことのほかに、一つの指示がなされた。4時間にわたる戴冠式で苦痛を味わわないで済むように、王冠の重量を2キロ以下に抑えることだ。

 エカルトとポジエは何かと競い合い、お互いのことが我慢ならなかった。この国家のレガリアの制作に2カ月半が割り当てられたのだが、その間にエカルトは、エカテリーナ2世に不満をぶちまけてさえいる。いわく、ポジエの描いたスケッチはまるで正教の聖堂みたいだ、と。

 エカルトは、「激怒して、そのスケッチを引き裂き」、自分で描いた。が、敵もさるもの、ポジエも仕返しをしてのける。それというのも、エカテリーナ2世の秘書がポジエをかわいがっていたからだ。

 ポジエは自ら、女帝に王冠を試着させ、まんまと約束の報酬以上の額を手にする。エカルトはといえば、約束の額さえもらえなかった。

2.一人の女帝と7人の皇帝がこれで戴冠

王冠をかぶっているエカテリーナ2世とパーヴェル1世。

 エカテリーナ2世の王冠は、恒久的な「聖遺物」となった。エカテリーナ2世の息子で次代皇帝のなったパーヴェル1世は、母親を憎んでいたにもかかわらず、王冠を処分してはならぬと宣言した(それまで代々の皇帝は、処分してきたのだが)。頭の周辺の部分の長さだけ、現皇帝の頭のサイズに合わせて調整することに決まった(この仕事は、最も経験豊かな宝飾細工師にのみ委ねられた)。

 王冠をかぶるのは特別な場合――祝祭日、謁見、葬儀など――だけであった。

 この王冠で戴冠したのは、ロマノフ朝の8人の帝王たちである。すなわち、エカテリーナ2世、ピョートル3世(死後に戴冠した)、パーヴェル1世、アレクサンドル1世、ニコライ1世、アレクサンドル2世、アレクサンドル3世、ニコライ2世だ。

 この王冠が最後に公衆の前に現れたのは、1906年のこと。第1国会(ドゥーマ)の開会式においてだ。

3. 皇帝一家の「刑吏」が欧米に売ろうとした

1922年にソ連の委員会によって撮影されたロシア皇帝の宝飾品。右上:ヤコフ・ユロフスキー

 ロシア帝国最後の皇帝、ニコライ2世とその一家が銃殺された後、多数の宝飾品がボリシェヴィキの手に落ちた。これらを扱うために、国家機関の「ゴフラン」(ロシア国家貴金属ファンド)が創設された。ゴフランの課題の中には、集められた財宝の保管と「非個人化」、そして「処分」が含まれていた。

 その課題にしたがって、宝石は金属板から取り外され、外国への売却と引き換えに、借金や借金繰り延べが試みられた。ゴフランの黄金局を率いていたのが、皇帝一家処刑の主要な「刑吏」、ヤコフ・ユロフスキーであった。彼は、一家の殺害と遺体焼却を指揮した人物だ。

 このユロフスキーのもとで、王冠の売却も試みられたのだが、こうした取引の可能性は、広く伝わり、外国のマスコミで大きな反響を呼んだ。ツァーリのダイヤは血にまみれている、と。

 1934年ごろから、スターリン自らの命令で、皇室の貴金属の売却は停止された。が、それはただ、党の評判を損なうからにすぎなかった。王冠は、一部の宝石が既に取り出されており、共産主義者たちには、王冠への畏敬の念などさらさらなかった。

4. はかり知れぬ価値の文化遺産

ロンドンのクリスティーズ・オークションハウスでの販売のために製品を選択していた委員会。1927年。

 1920年の時点で、王冠の評価額は、5200万ドル 。何しろ、この王冠には、5千個以上の宝石がちりばめられ、合計2858カラットもあった。最大の宝石は、400カラットのレッドスピネルだ。

 1985年に王冠は修復された(ボリシェヴィキ政権が売却しようとしたので、すべての宝石が残っていたわけではない)。1998年の命令により、クレムリンのダイヤモンド庫に収められた。この時に、王冠の価値は「評価不可能」とされた。つまり、王冠はあまりに貴重で、金銭でその価格を定めることはできない、ということだ。 

5. 王冠にはレプリカがある 

 王冠は決してロシアから持ち出されたことはない、と公式に認められている。1991年からは、モスクワのクレムリンからの持ち出しさえ禁じられた。

 持ち出しは、ロシア連邦大統領自らの命令によってのみ可能となり、それも極めて特別な場合だけだ(例えば、モスクワにいつか何者かが侵入したような場合)。

 2012年、スモレンスクの工房「クリスタル」の60人の職人が、この「皇帝の大王冠」の正確なレプリカを作った。オリジナルの王冠とは異なり、価格がついていた。1億ドルの保険がかけられたから。

 2015年、10億ルーブル(当時のレートで1500万ドル)の値段でオークションに出されたが、買い手はついにつかなかった。 

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