1. ミハイル・シーシキン著『手紙』(Письмовник)、2010年
この小説は、2人の恋人の手紙のやり取りという形式を取っている。しかし、ここでは時間と空間が一致しない。男は遠い遠征先、1900年の中国から手紙を出しているが、女のほうは20世紀全体を通して彼に返事を出す。しかも、彼はおそらくもう生きていない。著者は、愛には歳月や距離といった障壁が存在しないということを読者に教えているようだ。
小説は事実上そのまま演劇のシナリオとなり、いくつかの劇場で上演された。スイス在住のミハイル・シーシキンは、『ヴィーナスの髪』など、これ以前の作品によって欧米でもよく知られていた。このため『手紙』は出版から程なくして数ヶ国語に訳された。
2. リュドミラ・ウリツカヤ著『緑の天幕』(Зеленый шатер)、2011年
1960年代~70年代ソ連の暮らしと地下出版をテーマにしたこの本では、多数の登場人物の運命が描かれている。誰かは友人を陥れる密告をするよう強いられ、誰かは解雇されてどこにも受け入れてもらえず、また誰かは共産党の思想に合致しないという理由で自らの両親を拒絶せざるを得ない。
短い「雪解け」が終わってソ連は再び全体主義の深淵へと落ちていき、KGBが指を弾くだけで各人の運命が破滅し得る時代が訪れる。ウリツカヤはそんな社会の断面を描いている。
3. エヴゲーニー・ヴォドラスキン著『聖愚者ラヴル』(Лавр)、2012年
中世ルーシ。若きアルセーニーの婚約者が難産で死ぬ。彼は自分に責任があると考える。彼らは結婚していなかったためだ。そこで彼は生涯を彼女の魂の救いを請う祈りに捧げることを決意する。アルセーニーはラヴルと名を変え、遍歴してイェルサレムへ巡礼し、ついには森の中で病人を治療しながら隠遁生活を送る修道士となる。
ヴォドラスキンは、現代文学において聖愚者の人生というテーマに注目した最初の作家だ。聖愚者はロシア中世史において重要な役割を果たした。赤の広場の聖ワシリー大聖堂はご存知だろう。あれは聖愚者の一人を記念して名付けられたものだ。彼らは「神がかり」と呼ばれ、ツァーリに対してさえ無礼が許されていた。
作品が出版されると、ロシア中世を専門とする文献学者ヴォドラスキンは「ロシアのウンベルト・エーコ」と呼ばれるようになった。だが、エーコの明白な影響にもかかわらず、『ラヴル』は独創的で、信じ難いほど巧みな古代ルーシの言葉遣い、そして道徳的価値観に対する深い考察に満ちている(翻訳家にとっては大変な挑戦だ)。
4. マリーナ・ステプノワ著『ラザリの女たち』(Женщины Лазаря)、2012年
数学の天才、ユダヤ人のラザリ・リントには、革命も、ロシア内戦も、大粛清も、第二次世界大戦も影響しなかった。著者は主人公の物語を、彼が愛する人々の目を通して物語っている。初めそれは彼の上司の妻マルーシャだ。彼女はラザリより20歳年上で、彼を自分の子供のように見なしている。次は彼の妻ガリーナだ。主人公は彼女の中にマルーシャの特徴を見て取る。そして読者は、彼がもう会うことのない孫のリードチカの中に、彼の天性の才能が不思議な形で反映されていることを目にすることになる。
異色の家族の物語は20世紀全体に及び、一般市民の人生に国の重大な政変がいかに影響し、人々が新しい生活条件にいかに適応していったかが見事に描き出されている。
5. ウラジーミル・ソローキン著『テルリア』(Теллурия)、2013年
ソローキンは通常の小説の直線的な形式を破った。『テルリア』は、事実上つながりのない50章から成る。これは著者が21世紀半ばのロシアとヨーロッパの姿をテーマに空想を働かせたディストピア小説だ。舞台は戦争を経て世界が小さな公国に分裂し、人間だけでなくケンタウロスや犬頭などの神話的な存在が住む「新しい中世」である。
作中ではテルルという金属が一種の聖杯、麻薬の役割を果たしており、これを摂取した者は望むものをすべて手に入れ、いかなる精神の道も通ることができるとされる。しかし、テルルは信じ難い可能性を与えてくれる一方で、命に関わるほど危険なものでもある。
ソローキンは、現代ロシアで最もスキャンダラスな作家の一人で、その観念的な小説で一度ならず人々を驚かせてきた。暗に政権を批判し、政権支持活動家や正教会の不満を買っている。彼の作品をめぐって訴訟が起きたり、見せしめに本が燃やされたりもしている。ともあれ、彼が最も売れている作家の一人であることは間違いない。
6. ザハール・プリレーピン著『僧院』(Обитель)、2014年
この記念碑的な作品を執筆する前、プリレーピンは伝記的な物語や、OMON、チェチェン戦争、ナイトクラブの用心棒、地方都市の若者の生活の問題を扱った小説の著者として知られていた。
『僧院』では、「民衆」出身の素朴で互いに気心の知れた登場人物らは、1920年代ソ連の懲罰制度の黎明期にあって、ソロヴェツキー強制収容所に収容されている。著者は情報源の資料をつぶさに調べ、一義的でない収容所の所長、囚人たち、自由に焦がれる彼らの監獄での逆説的な生活という鮮烈なイメージを作り出した。
これはグラーグの恐怖を描いた定番の小説ではなく、あらゆる手段を使ってここで生き抜こうとし、あり得る「良心との取引」の結果について考察する青年の複雑な人生の物語である。
7. グゼリ・ヤーヒナ『ズレイハは目を開ける』(Зулейха открывает глаза)、2015年
タタール人の村に生まれたムスリムの女性ズレイハは、権威主義的な夫と姑に抑圧されている。ソビエト政権は彼女の人生に修正を加え、富農だった彼女の家族から資産を没収し、夫を殺害し、家計を奪い、彼女をシベリアへ護送する。運命のいたずらで、獄中で彼女は初めて個性としての自分を獲得し、感覚を持ち始め、言われたことを機械的にこなすだけではなくなる。
カザン出身の作家グゼリ・ヤーヒナの文壇デビューは文字通りその年の主要な出来事となり、デビュー作はベストセラーとなった。この作品の執筆に当たって彼女が依拠したのは、流刑地のシベリアで歳月を過ごした祖母の記憶と、1920年代の富農撲滅政策の対象となった他のタタール人らの回想録である。
8. アレクセイ・イワノフ著『不幸』(Ненастье)、2015年
アフガニスタン帰りの退役軍人の荒くれ者集団が、小さな田舎町全体を恐怖で支配している。彼らのもとには請願者らが訪れ、彼らが誰が市場で商売をすべきかを決め、奨励や処罰を取り仕切っている。彼らは、自分や家族のために新築物件を不法に占有することも決めている。
主人公のゲルマンは、荒くれ者集団の「仲間たち」とは違う。彼は陽光が注ぐインドへ移住することを夢見ており、これ以上紛争を望まず、アフガニスタンでの記憶に震えている。同時に、彼は頭領の娘に対する感情を隠さなければならない。
この本は、ロシアにおいて「邪悪な90年代」を芸術的に再解釈した最良の作品の一つだ。イワノフは、地方都市の生活の雰囲気を描き出しただけでなく、新しい階級の人々とその価値観を巧みに物語って見せた。
9. アレクセイ・サリニコフ著『インフルエンザのペトロフ家と彼の周囲』(Петровы в гриппе и вокруг него)、2016年
ペトロフ家でインフルエンザが蔓延し、家族が次らか次に罹患する。作品全体が熱にうなされる登場人物の視点で語られる。何が現実に起きていることなのか、何がインフルエンザに侵された意識の中で生まれたものなのか、必ずしも明らかでない。
サリニコフが成功を収めた主な要因は、病人の額の引っかき傷や布団の中の脚の震えなど、日常生活の細々としたところまで鮮やかに描写する新しい様式にある。
サリニコフの小説は、文学の世界で一大センセーションを巻き起こし、この年一番の話題作となった。著者はいくつかの賞を受賞し、有名な映画監督のキリル・セレブレンニコフはこの小説をモチーフに映画の撮影を始めた。
10. グリゴリー・スルジーテリ著『サヴェーリーの日々』(Дни Савелия)、2018年
これはモスクワの一匹の猫の誕生から死までを自伝的に描く一人称小説だ。著者はまるで、野良猫にGoProカメラを取り付けてその意識の奥深くまで入り込んだかのようだ。その上、彼は野良猫とともに、日常のモスクワを舞台とするとても面白い旅に出る。
スルジーテリのデビュー作は、初め読者と批評家に懐疑的に受け止められた。猫の語りという手法は新しいものではなく、誰もが猫の目線で描かれた作品のぎこちなさ、下手な比喩を心配した。だがこれは杞憂だった。この本は読者賞を受賞し、人々に見慣れた風景を新しい視点で見ることを促した。