ソ連の芸術家が生み出した独自のポップ・アート

カルチャー
エレーナ・フェドトワ
 ヴィタリー・コマールとアレクサンドル・メラミッドは現代ロシア芸術においてもっともアイロニックなスタイルである「ソッツ・アート」を確立した。

 今彼らは、アンディ・ウォーホールをまったくの馬鹿だと呼び、ゲルハルト・リヒター(存命の世界の芸術家の中でもっとも高価な値のつくアーティスト)の抽象画を足に筆を持たせた動物が描いた作品と比較する。これは認められた古典画家に許された発言ではなく、「鉄のカーテン」によって生まれた無礼さである。

 また1970年代の停滞期、モスクワで彼らは危険を承知でソ連政府の神経を逆なでしていた。パフォーマンスでレーニンやスターリンを真似、共産党の機関紙「プラウダ」でカツレツを作り、伝説の「ブルドーザー展覧会」を主催し、そしてソッツ・アートを確立した。

ソッツ・アートとは?

 ソッツ・アートは社会主義リアリズムに対するポストモダニズムのパロディと考えられている。コマールとメラミッドはソ連で初めて芸術を用いてソ連政府を笑いにしたアーティストである。同時にソッツ・アートはアイロニックなソ連版ポップ・アートとなった。ポップ・アートというものが、資本主義の大量生産に対する反応だとすれば、ソッツ・アートはプロパガンダの大量生産に対する反応だと言える。

 ソ連では1967年のソ連政府樹立50周年からいくつもの記念日が続き、通りには鮮やかな赤のスローガンや旗が溢れた。西側諸国ではポップ・アートの芸術家たちが街で目にした人気商品の広告を芸術作品にしたが、コマールとメラミッドも自分たちの周辺にあるものを芸術の世界で再現したのである。

ソッツ・アートの誕生

 ソッツ・アートの誕生はまるでアネクドート(小噺)である。それは1972年、ソ連でピオネール創設50周年が祝われたとき、コマールとメラミッドにピオネールキャンプのためのポスター制作の依頼がきたことに端を発する。2人は、冬に、暖房もなく、冷たいすきま風が吹き込むピオネールクラブの建物で制作をスタートした。2人は報酬とアルコールの夢で心を暖めていたが、それが自己批判を爆発させることとなる。コマールとメラミッドはお金のために良心に反しなければならないことを嘆いた。なぜなら彼らはすでにこのときには非公式芸術家の仲間入りをしていたからだ。そのとき彼らの頭に浮かんだのが、国家からの注文を真摯に製作する、新たな人物、彼らが考え出した架空の芸術家であった。そして生まれたのが想像上の社会主義リアリズム芸術家「コマール&メラミッド」であった。2人は大発見をしたような気分になったが、実際にその通りであった。この芸術的ストラテジーはパロディへの希求という意味で、ポストモダニズムのまさに先駆けであった。

「プラウダ」紙で作るカツレツとその他のミーム

 自分たちの発見にインスピレーションを受けた若き芸術家たちは、自分たちの考え出した作家の作品を生み出すこと意気込みを見せた。そして有名なソ連のスローガンに自分たちの苗字を書いた。

 自分たちをレーニンとスターリンのイメージで表現し、自分の家族をプロパガンダ用ポスターの登場人物として描いた。コマールとメラミッドがしたことは、いまの言葉でいう「ミーム」と呼べるものだ。芸術家たちは社会主義リアリズムの偽りの本質を暴き、パロディとなったソ連のイデオロギーを嘲笑した。2人は政治的侮辱としか捉えようのないパフォーマンスを行った。たとえば「心の栄養を摂るため」に共産党機関紙「プラウダ」で「プレス・ビトーチキ(カツレツのようなもの)」を焼いたのである。

 またあるアパートの一室で行われたコンサートで、2人はレーニンとスターリンの格好をして、観客たちを率い、巨大な社会主義リアリズムの絵画を描くことになっていた。しかしこのときは参加者全員が逮捕されることとなる。警察では非公式芸術家の旗手であるオスカル・ラビンと一緒になり、そこで「ブルドーザー展覧会」として知られることになる非公式芸術展覧会の開催の計画を立てたのである。

ブルドーザー展覧会

 コマールとメラミッドは、モスクワ郊外の屋外で行われたアンダーグラウンドの芸術家たちの展覧会の提唱者であった。非公式芸術家たちは、公式的な国の展覧会場で作品を展示することを許可されていなかったため、自分たちの作品を発表する場を探していたのである。この展覧会には20人の画家が参加した。

 そこへ突然、庭師の格好をしたKGBの職員たちが現れ、展覧会を破壊し始めた。会場にはブルドーザーが投入され、文字通り、作品を潰したのである。この事件は大きな反響を呼び、西側の主要な新聞でも多くの記事が掲載され、ヘルシンキ条約の調印にも影響が出た。コマールとメラミッドは亡命を決意する。2人はまずイスラエルに行き、そこからニューヨークに移り、以降そこで40年間暮らしている。

ウォーホールの魂を0セントで買ったコマールとメラミッド

 世界に対して諷刺的な眼差しを持つ2人は、ニューヨークに移り住むと今度は西側社会の批判を始めるようになる。次なる標的はアート市場であった。アメリカ時代のもっとも大々的なイベントの一つとなったのが、「魂買います」イベントであった。彼らは「芸術家はその作品に魂を込めているが、芸術家たちが魂を込めたその作品を売るのはギャラリーで、そのギャラリーが50%を手にする」というよく聞かれる言葉からこのイベントを思いついた。芸術家たちは魂を委託販売し、その結果オークションが開催された。コマールとメラミッドに魂を売った芸術家の中にはアンディ・ウォーホールもいたが、ウォーホールは自分の魂に0ドルの値をつけた。2人はのちに「これほど安すぎるのは、魂を売ったのが最初ではなかったからだ」と冗談を飛ばした。

 ちなみにソ連から亡命した後も、コマールとメラミッドは引き続きソッツ・アートに取り組んだ。2人は西側で、まったく安価なアカデミックな絵画が店ざらし品になっているのを目にした。そして彼らはサロン的な題材にレーニンやスターリンからヒトラーまでの政治家たちを含め、これらの作品を書きうつしたのである。このアカデミズムと社会主義リアリズムのポストモダニズム的融合は1980年代のペレストロイカの中に登場したため、西側のキュレーターたちを芸術家たちに惹きつけ、展覧会が世界中で開かれるようになり、またメトロポリタンやMOMAなど世界の主要な美術館に収蔵されるようになった。

絵を描くゾウ

 ソ連邦崩壊後、社会主義リアリズム芸術家としての「コマール&メラミッド」は存在を停止したが、2人の共同作業はその後も長く続いた。1990年代に彼らが実施したプロジェクト「ゾウの風景画」はモダニズムのパロディとなった。ある展覧会でゲルハルト・リヒターの晩年の抽象画を見た2人は、ゾウの方がもっとうまく絵を描くだろうと考えた。「国民の選択」、「記念碑的プロパガンダ」を含むコマールとメラミッドの最後の作品も相変わらず機知に富み、時代の本質にぴったり合致していた。しかし2人は2003年にペアを解消し、以降、それぞれソロアーティストとして個別に活躍している。

 モスクワの現代美術館(ペトロフカ通り 、25)では「コマール&メラミッド」の回顧展が開かれている(201969日まで)