ココシニク:ロシアの頭飾りをめぐる8つの事実

Legion Media
 2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会終わり、耳付き帽子に代わって人気となったのは、ロシアのココシニクだ。耳付き帽子は、映画『アルマゲドン』のおかげで、人気のステレオタイプ、つまり、「酔っぱらいのロシア人」のシンボルになった。ココシニクとはいったい何なのか、そして、どのようにして愛国心の波がこの民族衣装の一要素に再び流行をもたらしたのかをじっくりと考えてみよう。

1. ココシニクは冠と間違えられる

  私たちの誰もがインターネット・ミームとなった写真を見たことがある。そこでは、男性二人と女性一人が、100分を超える激戦となったロシア―スペイン戦の間にホットドッグを食べている。ネット上の人たちはすぐさま、「この人たちがかぶっているのはココシニクじゃなくて冠だ」と発言した。つまり、髪を包みこまずに、頭にぐるりとはめただけの頭飾りだったのだ。

 新しく生まれたルイ王子の洗礼を撮影したケイト・ミドルトンの写真を見ただろうか? あの時の頭飾りも冠と言うことができるだろう。

 ともかく、ココシニクの重要な違いは、雄鶏の尾に似た高いとさかがあるということ(古代ルーシでは、鶏は「ココシ」と呼ばれていた。 

2. 既婚女性だけがかぶっていた

「農民の女性」。画家の名は不明。

 古代ルーシでは、既婚女性は頭を覆って髪を隠さなければならなかった。ココシニクのとさかの部分に布を縫いつけ、その布は頭を包みこみ、ときには首まで覆うこともあった。

カール・ブリューロフ「占いをしているスヴェトラーナ」

 一般的には、髪型と頭飾りによって、女性のステイタスを判断することができた。長いお下げ髪は、嫁入り適齢期の娘だということを意味した。美しい髪を与えられずに生まれてきた場合は、馬の毛を編みこんでいた。そうすることで、自分たちが健康だということ、つまり、たくさん子どもを産めることを示そうとしたのだ。

 既婚女性は、お下げを二つに編み、それを頭の周りに巻きつけなければならなかった。

3. 祝日に特別につけていた

コンスタンチン・マコフスキー「窓を覗いているボヤーリシニャ」

 ココシニクは高い布地を用い真珠やビーズが周囲に縫い付けられていたため、非常に高価だった。そのため、大切に保管され、年に数回、大きな祝祭のときにだけ使われ、世代から世代へと受け継がれていった。

 普段、女性たちがかぶっていたのは「ポヴォイニク」という柔らかい帽子で、髪を隠すために周りに必ず布をつけていた。

4. 多くの種類がある 

 もっとも有名なものは、一角型のココシニクで、三角形か半月型をした高く伸びたとさかがついている。さらに、丸くて平らな底を持った円筒形や、兜に似た鞍の形をしたココシニクもあった。実際には、ロシアにたくさんある地域のすべてに、独自のココシキがあった。

5. 皇帝たちは政治目的でココシニクを利用した

 ピョートル大帝は、ルーシの貴族たちと積極的に闘い、宮廷の婦人たちにココシニクを身につけることを禁じた。その上で、ヨーロッパのデコルテのドレスをファッションに取り入れたのである。このことは、既婚のロシア女性たちにとって二重の衝撃であった。それ以降、ココシニクは、商人や農民とのつながりを増すようになった。

ステファン・トレッリ「伝統的なロシアのドレスを着ているエカテリーナ2世の肖像画」

 一方、ドイツ生まれのエカテリーナ2世は、ロシアの伝統に対する自身の敬意を強調しようとし、仮面舞踏会の衣装の一部としてココシニクを復活させた。自分自身も、ココシニクをかぶった姿を肖像画家たちに描かせている。

 1812年のナポレオン戦争の時に、フランス寄りだったロシアの上流社会は、再び、民族衣装に戻ることにした。そうして、19世紀を通して、ココシニクをつけた皇妃や宮廷の貴婦人らの肖像画を目にすることがさらに増えていったのである。

6. ポーカー用のトランプに描かれている 

クラブのクイーンのイメージには大いに大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナのドレスのデザインが使われた。

 1903年に、ニコライ2世は、ロマノフ朝290周年を記念して有名な仮面舞踏会を開いた。高貴な婦人たちが、高価な宝石や布で飾り立てたピョートル以前のロシア的な民族衣装で登場した。彼女たちはサラファンを着て、頭にはココシニクをつけていた。

 この舞踏会は多くの写真が残っているが、そのときの衣装のデザインは、1913年に出た「ロシア・スタイル」というトランプに用いられている。ニコライ2世自身も、ハートのキングのモデルとなっている。

 ちなみに、『スター・ウォーズ』のアミダラ女王のゴールドの衣装も、この皇帝の舞踏会に着想を得たものだ。

7. 1920年代にヨーロッパで流行した

アンナ・パヴロワ

 ロシアの亡命者やバレリーナたちによって、ココシニクはうまい具合に、ヨーロッパの花嫁衣裳の一部として流行した。ココシニクをつけて結婚式を行った人に、ジョージ5世の妻メアリー・オブ・テックがいる。バレリーナのアンナ・パヴロワも、ディアギレフの「セゾン・リュス」でココシニクをつけて踊ったし、オペラ歌手や女優、流行に敏感な人たちも、この頭飾りを身につけた姿で、この時代の上流社会の写真の中に残っている。

8. ポップカルチャーの仲間入り

シャネル・パリ-モスクワ・プレフォールコレクション

 2009年のシャネル・パリ-モスクワ・プレフォールコレクションでは、カール・ラガーフェルドが、ココシニクとマトリョーシカに着目した。

 2011年には、コートニー・ラブがココシニクをつけてロシアのモスクワにおける「アフィーシャ・ピクニック」音楽祭に出演し、ジェニファー・ロペスは、2014年に『ハーパーズバザー』誌ロシア版で、伝統的な衣装を現代風にアレンジしたものを身につけて撮影している。

モスクワの「アフィーシャ・ピクニック」音楽祭に出演しているコートニー・ラブ

 ココシニクには、現代の芸術家たちも着目している。例えば、ヨハン・ニカディモスは、イワン・ビリービンの本の挿絵や、ヴィクトル・ワスネツォフの絵に描かれているココシニキを再構築して、自身のビンテージものの製品に用いている。

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