聖なる壮麗なヒマラヤ:レーリヒの絵画とその実際の景色を比べる

ロシア国立東洋美術館
 ニコライ・レーリヒ(ニコライ・リョーリフ、1874~1947年)は、ロシアの哲学者、美術家、画家で、チベットの秘境シャンバラを探し求めた人。北インドに住むドゥニ・チャンドさんは、レーリヒがヒマラヤ西部で描いた絵と、そのモデルとなった景色の写真を組み合わせてみた。その魅力的なコンビネーションを見てみよう。

 ロシアの美術家、哲学者のニコライ・レーリヒは、長年にわたりインド哲学の研究に打ち込んできたにもかかわらず、インドを初めて訪れたのは、ボリシェヴィキ革命後の1920年代半ばのことだった。彼は、北インド、中国、チベット、アルタイ山脈、モンゴルのアクセス困難な地域を行く、アジア遠征を計画し、実行した。レーリヒの支持者たちは、探検中にいくつかの地理的および民俗学的発見がなされたと述べている。 遠征期間中、レーリヒは、ヒマラヤ山脈を題材とする約500点の絵を描いた。

 

 レーリヒは、ヒマラヤに魅了され、そこに特別な精神的意義を見出した。彼にとって、この山脈は地球上で最も聖なる場所の一つだった。アジア遠征の後、彼は家族とともに、ヒマラヤのまさに中心に位置する、インド北西部のクール谷に居を定め、1947年に亡くなるまで、そこに住んでいた。一家はここにヒマラヤ研究所を設立した。

 「私の父のようにこの山脈を描いた画家はいない。彼のヒマラヤは、比類なき豊かな光、多彩さ、筆舌に尽くしがたい偉大さ、高尚な思想を私たちに放射している」。レーリヒの息子スヴャトスラフはこう書いている。彼自身も著名な画家、建築家だ。

 

 「ヒマラヤの日の出を拝む喜びを、いったい他のどこで得ることができようか。空はサファイアよりも青く、彼方の氷河が類なきダイヤモンドのように輝き出す」。レーリヒは彼を魅了したヒマラヤをこのように描写している。

 1942年には、未来のインド首相、ジャワハルラール・ネールとその娘、やはり後年のインドの指導者、インディラ・ガンディーが、レーリヒの住まいを訪れている。

 「それは、忘れ得ぬ訪問だった。驚くべき才能をもつ家族だった。その一人ひとりが何らかの分野に明瞭な興味、関心を抱いていた。…レーリヒは私の記憶に刻まれている。彼は豊富な知識と巨大な経験を有する人物で、大きな心の持ち主だった。自分が観察してきたすべてに深く影響を受けていた」。ガンディーはこう回想している

 

 レーリヒは自分を、ロシアとインドの2つの文明の間の架け橋であると考えた。 「私は、多くの絵画の中で壮麗なヒマラヤを讃えることができたことを誇りに思う。ロシア芸術史の中で、ヒマラヤとインドが、愛と尊敬の念をもって賛美されたことになる。インドを愛する私は、ロシア人として、これを嬉しく思う」。レーリヒはこう語った。

 

 2013年、イギリスのオークション・ハウス「ボナムズ」(Bonhams)は、レーリヒのヒマラヤの絵画「カンチェンジュンガ」を130万ポンドで売った(カンチェンジュンガは、ヒマラヤの主峰の一つで、エベレスト、K2に次いで世界第3位の高さを誇る)。さらに同年、ボナムズは、別のレーリヒの絵「Madonna Laboris」(聖母の御業)を790万ポンドで売り、ロシア美術のオークションで過去最高額を記録した

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