ヨーロッパの印象派と比較し、ロシアにおける印象派は1860年から1930年にかけてかなり複雑な進化を遂げた。この間に芸術家たちは多くの異なるスタイルを融合させたため、ロシアの印象派とポスト印象派の作品はセザンヌ主義、ネオプリミティズム、ロシア象徴主義を含むその他のジャンルに含められることが多い。そしてそれによりロシア印象派はさらに興味深いものになっている。
ロシア印象派美術館に行けば、ロシアが印象派という流れにいかに貢献してきたかが分かる。ここでは現在、「妻たち」展が開かれており、画家の“ミューズ”たちの肖像画を見ることができる。
ロシア・ビヨンドがロシアの最も象徴的な印象派画家を紹介する。
「パリ、カプシーヌ通り」
トレチャコフ美術館もっとも重要なロシアの印象派画家の1人であるコローヴィンはもともと印象派が生まれたパリに滞在中に大きなインスピレーションを受けた。コローヴィンは「パリ、カプシーヌ通り」、「パリの朝」、「夜の通り」など、パリをテーマにした作品を数多く描いた。フランスはコローヴィンのこうした功績を好意的に評価し、コローヴィンにレジオンドヌール勲章を授与した。
「食卓」
ヴァシーリー・ポレーノフの博物館コローヴィンはオペラ、バレエ、演劇などの舞台背景幕を描き、コスチュームデザインを手がけたが、もっとも評価されたのは絵画であった。
「あいている窓。ライラック」
ベラルーシ共和国美術館「今世紀の絵画は残酷なものばかりで、人を喜ばせるようなものがない。わたしは(心の底から)、喜びに満ちた絵を描くことを切望し、ただ喜びを感じさせる絵を描くことを誓う」。セローフはこう綴っている。彼の作品が明るくて優しくて、華やかで生き生きとしている理由はそこにあるのだろう。
「子供たち(サーシャとユーラ・セローフ)」
国立ロシア美術館セーロフは「桃を持った少女」、「陽光を浴びる少女」が発表された後、世に広く知られるようになった。セーロフの描く肖像画の特徴はモデルの魂が表現されているところである。
心理的な肖像画の巨匠であったセーロフはエリート層の間で非常に人気があった。ロマノフ家のメンバーの肖像画を何枚か残している。
ポール・セザンヌの熱狂的なファンであり、ヨーロッパ文化に憧れを抱いていたコンチャロフスキーは印象派、ポスト印象派、キュービズムなど異なる流派の中に自らの使命を模索していた。
非常に快活な人柄で、花を中心とした静物画に自然の美を閉じ込めた。コンチャロフスキーはルノワールと同様、「痛みは過ぎ去るが、美はいつまでもそこにあり続ける」と信じ、人生の明るい部分を作品にしようとした。
奥さんのフェーシナと娘
私蔵フェーシンは故国ロシアとほぼ30年間過ごしたアメリカの両方で有名な画家となった。アメリカではネイティヴアメリカンをモデルにした肖像画を、そしてロシアでは日常生活を描いた。
現在、フェーシンの作品はオークションで数百万ドルという非常に高額で落札されている。作品「Little Cowboy」は2010年690万ポンドで落札され、ロシアでもっとも“高額な”画家の1人となった。
「ヴァーリャ・アドラツカヤの肖像画」
国立ロシア美術館重要な作品のひとつ「ヴァーリャ・アドラツカヤの肖像画」(1914)はセーロフの「桃を持った少女」とたびたび比較される。
印象派の作品を描くことがキャリアをスタートしたバラーノフ=ロッシーネだが、後にオルフィスムを追求し、有機体と無機体で構成された、いわゆるポリテクニック彫刻と呼ばれるものを創った。
「バーク船、ドニエプル川」
私蔵サンクトペテルブルク芸術アカデミーを卒業した後、バラーノフ=ロッシーネはパリを訪れ、マルク・シャガール、アメデオ・モディリアーニなどとともにボヘミアン的な生活をする画家たちの暮らす地区に住んだ。印象派の静物画がもっともよく知られる。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。