t.A.T.u.のリェーナ・カーチナとユーリャ・ヴォルコヴァ。
Getty Images最も有名なロシアの歌といえば、まちがいなく「カリンカ」だろう。映画で何かロシアっぽさを出したり、ロシアがらみの場面を設定したりするときには、これが頻繁に使われる。「カリンカ」のブランド的性格は、例えば、エッフェル塔などに似ているかも。パリで起きていることを視聴者に伝えたいときに、エッフェル塔を見せるのと同じことだ。
「カリンカ」は民謡だと思う人が多いが、実は、ちゃんとイワン・ラリオノフという作曲者がいる。作曲は、150年以上前の1860年のことだった。
「カリンカ」と同じく、「カザチョーク(コサックの男の子)は、その素朴なリズムで、「ロシア的なもの」を示す目的を簡単に果たせる。
この歌が人気を博したのは1970年代のこと。ブルガリアの歌手、ボリス・ルバシキンが西側に亡命したときだ。西側で彼は、フランスの出版社の依頼で、この歌を作って、ダンスを振り付けた。ルバシキンはブルガリア出身であるにもかかわらず、この歌は典型的なロシア風とみなされ、コサック・ダンスの伝統の一部に帰せられるにいたった。
「長い道を」(ダローガイ・ドリーンナィユ)は、もともと1920年代にソ連で作られたが(ボリス・フォミン作曲)、1960年代後半には、「悲しき天使」(Those Were the Days)のタイトルで西側で大ヒットした。メリー・ホプキンが歌い、ポール・マッカートニーがプロデュースした、このリリックな“新曲”は、全英シングル・チャートの首位に輝く。しかし、この曲のロシア起源は、「長い道」で失われてしまったのか、言及されることはなかった。
「モスクワ郊外の夕べ」も、海外でよく知られているロシアの歌の一つとなった。 もともとは「レニングラードの夕べ」というタイトルだったが、あるドキュメンタリー映画に使われることになり、変更された(*国際スポーツ祭典「スパルタキアード」の記録映画で、世界各地から集まったスポーツ選手がモスクワ郊外で休息する場面で使われた――編集部注)。モスクワもレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)も、夜の光景は似ていたから、変更はけっこう簡単だった。
最初は、この曲はあまり注目されなかったが、作者には予想外なことに、ソ連全体で非常に人気が高まった。さらに、 若いアメリカ人ピアニスト、ヴァン・クライバーンVan Cliburnが演奏したことで、世界的にも有名になる。クライバーンは、1958年にモスクワで開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、当時の米ソの「雪解け」の象徴となった。
「カチューシャ」(エカテリーナの愛称)は、1938年に書かれたが、本当に人気が出たのは、第二次世界大戦中のことだ。少女が出征して遠い国境に送られる恋人を思う、というのが歌の内容。
「カチューシャ」が成功した理由の一つは、ソ連が開発・使用した世界最初の自走式多連装ロケット砲のニックネームでもあったから、と言われている。この兵器「カチューシャ」は、第二次世界大戦で重要な役割を演じた。
二人組みの女性歌手t.A.T.u.の「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」(Я сошла с ума / 私はおかしくなった)の英語版「All the things she said」は、2002年にリリースされるや、海外でも人気を集める。もっともそれは、音楽性のおかげというよりは、学校の制服を着た二人の少女がキスする演出によるものだったが。
この曲は多くの国でヒットチャートの1位を占めた。米国のシングル人気チャート「ビルボードホット100」で20位以内につけた、ロシア唯一の歌でもある。
最後に挙げる曲は「Trololo」。これは、YouTubeにアップロードされて、2009年に有名になったが、もともとは1976年に制作されている。
このエドゥアルド・ヒリ(Eduard Khil)の一風変わった「歌」は国際的に知られるようになったが、ロシア国内では、全盛期はとっくの昔に過ぎ去っていた。
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