銃弾飛び交う中の「仮面舞踏会」

「仮面舞踏会」

「仮面舞踏会」

アレクサンドリンスキー劇場
 100年前、革命の最中の、ある芸術上の事件に関する関係者らの回想をお届けする。銃撃戦と革命による混乱にもかかわらず、サンクトペテルブルク(当時はペトログラード)では、活発な文化活動が行われていた。かの伝説的な俳優、演出家フセヴォロド・メイエルホリドが、詩人ミハイル・レールモントフの戯曲にもとづく「仮面舞踏会」のまさに象徴的な上演を、アレクサンドリンスキー劇場で行った。舞台関係者、観客の証言がいくつか残っている。

「仮面舞踏会」のコスチュームデザイン、アレクサンドル・ゴロヴィン画=アレクサンドリンスキー劇場「仮面舞踏会」のコスチュームデザイン、アレクサンドル・ゴロヴィン画=アレクサンドリンスキー劇場

現実もまた仮面舞踏会

 悲劇「仮面舞踏会」は、現実に進行していた革命の悲劇とかなり重なり合う面があった。革命の渦中にあったある者は仮面を投げ捨て、またある者は別の仮面を試していたから。

「仮面舞踏会」の場面=アレクサンドリンスキー劇場「仮面舞踏会」の場面=アレクサンドリンスキー劇場

 「私はペテルブルクのはずれから『仮面舞踏会』を見ようと出かけた。トロイツキー橋付近の通りの真ん中に、路面電車が、窓が割れ、車輪がひしゃげた状態で横転していた。昼間ちょうどこの通りを群集が進み、『パン』を要求していたのだが、起こったのはそれだけだったのだろうか?夜も散発的な銃声が聞こえた。通りはがらんとしていた。このときはまだ“飢餓の王さま”は“仮面舞踏会”に加わっていなかったが」。ポータルサイト「プロジェクト1917」は、文芸評論家イワノフ=ラズームニクの回想を引用している。

アルベーニンとニーナ=アレクサンドリンスキー劇場アルベーニンとニーナ=アレクサンドリンスキー劇場

 『仮面舞踏会』のあらすじは次の通り。仮面舞踏会で、仮面をつけたシュトラリ男爵夫人がズヴェズディチ公爵に愛を告白し、自分の記念にと腕輪を与える。ところが、その腕輪は、もう一人のヒロイン、ニーナがたまたま失くしたものだった。ニーナの夫、アルベーニンは、その腕輪が妻のものだと気がつき、妻の浮気を疑う。そして、妻の釈明に耳を貸さず、彼女を毒殺してしまう。やがて真実を知ったアルベーニンは発狂する。

シュトラリ男爵夫人を演じた女優エリザヴェータ・ティメ=アレクサンドリンスキー劇場シュトラリ男爵夫人を演じた女優エリザヴェータ・ティメ=アレクサンドリンスキー劇場

 

命がけの上演と観劇

 「初演当日はもう屋外を歩くのは危険だった。劇場のロビーで昼間、どこかの学生が流れ弾に当たって死んだことを知ってから、私たちの興奮は、いやがうえにも増した。にもかかわらず、初演は成功だった。カーテンコールが延々と続いた」。シュトラリ男爵夫人を演じた女優エリザヴェータ・ティメはこう書き残している。

舞踏会の場面、スケッチ=アレクサンドリンスキー劇場舞踏会の場面、スケッチ=アレクサンドリンスキー劇場

 雑誌「劇場と芸術」は、この初演についてこう書いた。

 「アレクサンドリンスキー劇場で、『仮面舞踏会』が上演された。メイエルホリドは、まるでファラオが自分のピラミッドを造るように、何年もかけて演出を練り上げてきた。もっとも、遠くの街角ではまだ発砲があり、路面電車は動かず、街灯は薄ぼんやりと灯っているだけだった…。個人でやっている御者は、法外な値段をふっかけていた。叫び声が聞こえ、旗を掲げた群衆が集まってた。街はがらんとして、不気味な感じがした。ところが劇場は満席だ。彼らは何という代償を払って観劇にやって来たことだろう!」

舞踏会の場面=アレクサンドリンスキー劇場舞踏会の場面=アレクサンドリンスキー劇場

 「ゲネプロは、1917年2月末に行われたが、このとき街では銃声が轟いていた。2月革命の一連の事件は、すんでのところでゲネプロを中止に追い込むところだった。というのは、当局から電話がかかって来て、劇団の若いアーティストたちが、思いがけず、兵営に動員されるところだったからだ。すったもんだのあげく、彼らを守ることができた。こういう状況だったが、初演当日はかなり平穏で、舞台は大成功をおさめた」。舞台美術担当のアレクサンドル・ゴロヴィンはこう振り返る。

アルベーニンを演じた俳優ユーリエフ=アレクサンドリンスキー劇場アルベーニンを演じた俳優ユーリエフ=アレクサンドリンスキー劇場

 

観客の中にバレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤも

 「私は危険を冒して、ユーリエフの慈善興業を見るために、アレクサンドリンスキー劇場に出かけた。そこでは、メイエルホリドの演出で、レールモントフの『仮面舞踏会』をやっていた。街は平穏で、無事に往復できた」。このように、バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤは書いている。彼女は噂によれば、皇帝ニコライ2世の愛人だった。

アレクサンドル・ゴロヴィンによるコスチューム・デザイン=アレクサンドリンスキー劇場アレクサンドル・ゴロヴィンによるコスチューム・デザイン=アレクサンドリンスキー劇場

 「レールモントフの『仮面舞踏会』の舞台化とは、これはまた何と不気味な象徴になっていることだろう!最近数年を振り返ってみれば、この精神的に腐敗しつつある社会の上層部の生活は、悲劇的な仮面舞踏会にほかならないではないか?都市や農村の片隅には真の生活が隠れているかもしれないが、それもはっきりしない。“上”のほうは、生気のない、半分死んだような人間や、見た目は愛くるしいが幽霊みたいなのや、オカルト好きがいるにすぎない。まさにロシアの生活の悲劇的な仮面舞踏会だ」。イワノフ=ラズームニクはこう記した。

緞帳のデザイン=アレクサンドリンスキー劇場緞帳のデザイン=アレクサンドリンスキー劇場

 

9910日にボリショイ劇場で復活上演

 「ごった返している楽屋裏から俳優用の出入口を通って通りに出ると、驚いたことに、劇場周辺には一台の自動車も辻馬車もないことが分かった。劇場前広場は人っ子一人いなかった。何歩か歩くと、いきなりどこか近くで射撃音がした。びくびくしながら無人のネフスキー大通りを渡り、角を曲がると、目の前にバリケードがあった。ひっくり返した橇や引き出しや柱などで組み立ててあった。今やすべてがはっきりした。革命だ」。舞台美術家のユーリー・アンネンコフはこう書いている。

フセヴォロド・メイエルホリド(中央、右の人へ意見を与えている)が劇団員と一緒に=アレクサンドリンスキー劇場フセヴォロド・メイエルホリド(中央、右の人へ意見を与えている)が劇団員と一緒に=アレクサンドリンスキー劇場

 「仮面舞踏会」は、現代演劇をリードした俳優、演出家フセヴォロド・メイエルホリドの主な業績の一つ。彼は後に、メイエルホリド劇場を指導するが、1940年に、3週間にわたる拷問の末、銃殺された。

 この伝説の舞台は間もなく、アレクサンドリンスキー劇場で「仮面舞踏会 未来の思い出」と題して、復活上演される。モスクワでも、9月9-10日にボリショイ劇場の舞台で上演。

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