画家オストロウモワの日本的世界

アンナ・オストロウモワ=レベデワ

アンナ・オストロウモワ=レベデワ

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 サンクトペテルブルクのロシア美術館で、画家であり浮世絵収集家であったアンナ・オストロウモワ=レベデワ(1871~1955)の回顧展が開催され、好評を博した。彼女は、20世紀前半の最良の版画家の一人と目されている。しかし彼女が歴史にその名をとどめたのは、自らの作品のためばかりではなく、その豊富な浮世絵コレクションのためでもあった。これは彼女の没後にロシア美術館に遺贈されている。

 アンナ・オストロウモワ=レベデワは、元老院議員を父として生まれ、1900年にペテルブルク帝室美術アカデミーを卒業。かの有名な画家イリヤ・レーピンの指導を受けたが、反りが合わず、ワシリー・マテのもとに移った。マテは優れた版画家であり、主に彼のおかげでこのジャンルはロシアで人気を得た。ちょうとその頃、1896年に若き女流画家は、セルゲイ・キタエフの収集した浮世絵の展覧会を訪れている。後にアンナが回想するところでは、未だかつて見たことのない形式と色彩に魅せられ、長い間、絵の前から離れることができなかったという。疲れた彼女はついに床に座り込み、それらの作品を微細なディテールにいたるまで凝視し続けた。「仮借のないリアリズム、形式、単純化が、幻想と神話の世界と共存していることに驚嘆した」

 

広重を真似る 

 アンナが自身のコレクションの第1号を買ったのはパリでだった。彼女は、手に入れた作品を嘆賞するばかりでなく、プロの画家として浮世絵の技法を研究した。

 アンナは後に、その技法を完全に借用したわけではないが、それでも日本の巨匠たちの仕事のいくつかの要素は、自作に利用している。

 ある時彼女は、自分の腕を試してみようと思い立ち、安藤広重のスタイルでこっそりと版画を作り、アレクサンドル・ベノワ、コンスタンチン・ソモフ、レオン・バクストといった名だたる画家たちに見せてみたところ、誰一人として贋作とは気が付かなかった。ただ一人、日本に滞在したことのある画家エフゲニー・ランセレのみが、どうも日本の景色らしくないと指摘したという。これはその通りで、アンナは、日本的題材を、自分の好きなクリミアを背景に描いたのだった。現在、この作品は『広重に倣って』または『クリミアのフィオレント岬』と呼ばれている。

アンナ・オストロウモワ=レベデワ作『クリミアのフィオレント岬』=ロシア美術館の提供\n<p>アンナ・オストロウモワ=レベデワ作『クリミアのフィオレント岬』=ロシア美術館の提供</p>\n
アンナ・オストロウモワ=レベデワ作『夏の庭園、冬の景色』=ロシア美術館の提供\n<p>アンナ・オストロウモワ=レベデワ作『夏の庭園、冬の景色』=ロシア美術館の提供</p>\n
 
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 アンナはこの一件について、日記にこう書いている。「私は自分の道具で日本風に刻もうとしたが難しかった。こういう実地の経験を通して、日本の道具が別の特徴をもつことが分かった。でも私は、日本のやり方をそっくり取り入れようとしたわけではない――我々のヨーロッパの道具でも良い成果が出せるし、それに第一、当時は、日本の版画の手法を教えてもらえる人なんていなかったのだから」

 かくして、木も別だし、道具も別。しかもアンナは、木を縦挽きではなく横挽きにした板で、版画を制作していた。これらすべてのために、彼女の様式は日本のそれと非常に異なるものになったのだが、それでも肝心なものは残った。日本美術への愛、そしてプリミティヴィズムと洗練、繊細さを兼ね備えようとする意志だ。

 

二人三脚のコレクション

 アンナは一枚一枚とコレクションを増やしつつ、集めた作品に特別な注意を向けた。こうした作業を夫も手伝った。それは、有名な化学者で、未来のアカデミー会員であるセルゲイ・レベデフだ。彼もまた美術愛好家となり、当然のことながら、特に浮世絵を重んじた。複数の証言によれば、夫妻は「浮世絵の作者の名を判読するために、日本語の読み書きを学び、何時間でも飽かずに作品を眺め、それらについて延々と話し合っていた」。もちろん、そこには素人的、好事家的なものがあったが、夫妻の浮世絵への情熱には驚嘆せずにはいられない。

 ある時、レベデフは市場で屏風の片方を買ったが、そこには、広重の版画12枚が貼られており、珍しい面白い作品であることが分かった。それを見たアンナは夫に、すぐに屏風のもう片方を探し回るように頼み込んだ。「私たちがそれらの版画に見とれ、注意深く整理したときにどんな喜びと楽しさを味わったかは、とうてい想像もつくまい」。こう彼女は日記に記している。

 長年にわたる熱心な努力のかいあって、オストロウモワ=レベデワ・コレクションは、98枚に上る興味深い版画、および14冊の古書を集めるにいたった。これらの作品はすべて、アンナの死後、ロシア美術館に寄贈された。

 コレクション展のキュレーター、ガリーナ・パヴロワ氏はこう述べる。「現時点でロシアにあるコレクションとしては、これは最良とは言わないにしても、決してささやかなものではない。全体として、このコレクションには、江戸時代に特徴的なあらゆるジャンルが揃っているが…特に重要なのが、吉原の遊郭の美女たちを描いたもの。コレクションで最も古いのは、18世紀末~19世紀初頭の作品で、日本における木版画の技法の特徴がよく見て取れる」

歌川広重作『和歌浦』=ロシア美術館の提供\n<p>歌川広重作『和歌浦』=ロシア美術館の提供</p>\n
歌川広重作『亀戸天神』=ロシア美術館の提供\n<p>歌川広重作『亀戸天神』=ロシア美術館の提供</p>\n
 
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 アンナのコレクションの一部は、18~19世紀の葛飾北斎、勝川春扇、柳斎重春、安藤広重などの作品からなり、今回のロシア美術館での展覧会の中心をなしている。「日本の版画はアンナを、その後の仕事に向けて強く触発した」。こう言うのは、ロシアにおける日本美術の権威で、プーシキン美術館に勤務するアイヌラ・ユスポワ氏だ。「今になってようやく、彼女のコレクションの全貌を、同時に展示された彼女の自作とともに、目にすることができた。コレクションには、18世紀の初期浮世絵がないことから、彼女は主に風景画に熱中していたようだ。しかし、我々にとって重要なのは、このコレクションが誰に属し、その持ち主がどんな個性か、そして、創作のなかで日本の画家たちのモチーフと技法をどう利用したかだ。これは、例えば、我々にゴッホやモネの浮世絵コレクションが重要なのと同じ理由による」

 今回の展覧会で特に嬉しかったのは、ひっきりなしに訪れる人波のなかに、少なからぬ日本人の姿があったこと。彼らは、驚きと満足感をもって、ロシアにおける浮世絵人気の源流について知ったのだった。

*ロシア美術館のアンナ・オストロウモワ=レベデワ展は、11月7日まで開催される。

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