イヴ・サンローラン生誕80周年!

イヴ・サンローラン、1996年=

イヴ・サンローラン、1996年=

ロイター通信
 8月1日、フランスの偉大なデザイナー、イヴ・サンローラン(1936-2008)は80歳の誕生日を迎えるはずだった。ロシアとの関わりが始まったのは1950年代だが、彼の死後もその関わりは終っていない。このオートクチュール・デザイナーとロシア人との関わりの歴史を振り返ってみよう。

1. ディオール・クチュール・メゾンとモスクワへの最初の登場

 1957年、ディオール・クチュール・メゾンの創始者クリスチャン・ディオールの不慮の死のあと、21歳のイヴ・サンローランはディオール・クチュール・メゾンの主任デザイナーになった。彼の最初のコレクション「トラペーズ・ライン」が登場したのはその1年後で、それは伝統的なロシア・サラファンのフォームを利用したものだった。いくつかのセットには、ナジェージダ、タチヤーナといったロシア人の名前がつけられた。

 1959年、イヴ・サンローランは、西欧のデザイナーとしては初めて、ソ連に自分のコレクションを導入する。コレクションは絶賛された。もちろん、招待状が出されたのは、軽工業のトップ陣、映画・演劇のスター、党指導者の妻たちに限られていたから、コレクションに入場するのは、事実上、不可能だった。

1959年にソ連に初めてクリスチャン・ディオールのコレクションがお目見えしたとき、エレガントなフランスのモデルたちがグム百貨店を地元の群衆に交じって闊歩する写真が世界を席捲した。=Getty Images1959年にソ連に初めてクリスチャン・ディオールのコレクションがお目見えしたとき、エレガントなフランスのモデルたちがグム百貨店を地元の群衆に交じって闊歩する写真が世界を席捲した。=Getty Images

 しかし、その後、グム(国立百貨店)の展示場にモデルが登場し、赤の広場の写真撮影に出てくると、希望者は誰でもファッションを見ることができた。当時のニュース写真には、ロシア市民がディオールの服を着たモデルを、まるで異星人を見るような目で眺めている様子が写されている。

 ソ連の主要メディアの一つだった「アガニョーク(灯)」誌は、ファッションショーにこんな評を寄せている。「会場の参加者はとても注意深くモデルを見ている。ある者は、頭の中で服を比較検討し、毛皮のコートを肩に掛けてみる。またある者は、気に入ったファッションを見つけ、それを覚え込もうと努める。女性客らはこんな感想を言う。『目のつんだウール地の服で、こんなにオープンなのはなぜかしら? だって、ほとんどサラファンじゃない? 北国の私たちにはあまり実用的じゃないわね。こんな服だと、夏は夜でも暑いわ。ワンピースは丈が短すぎる。太った人や背の低い人には似合わないわね。チュールの手編み刺繍は、もちろん、とてもきれいだけど、こんなに高価なものを誰が使う?』」

 

2.1976年「ロシア」コレクション

バレエ「ロシア・シーズン」をテーマに開催された1976年秋冬コレクション=AP通信バレエ「ロシア・シーズン」をテーマに開催された1976年秋冬コレクション=AP通信

 イヴ・サンローラン自身が語っているように、彼はロシアとロシア文化を愛していた。ロシア文化の影響は彼の多くの作品に見られる。しかし、20世紀初めにパリとニューヨークで公演を行ったセルゲイ・ディヤギレフのバレエ「ロシア・シーズン」をテーマに開催された1976年秋冬コレクションほど、はっきりとその影響があらわれたコレクションはなかった。イヴ・サンローランはロシア文学に登場する女性たちからもインスピレーションを受け、その第一が、ナターシャ・ロストワ(『戦争と平和』)とアンナ・カレーニナだった。

 彼の衣裳には、コサック、伝統的なロシア農民の衣服、美術家レフ・バクストのモダニズム・バレエ衣裳のフォームから借用したモチーフが見られる。コレクションは熱狂的に迎えられた。ニューヨーク・タイムズ紙はこのコレクションを、モードの歴史を変え得る「革命的コレクション」と呼んだ。イヴ・サンローラン自身がこのコレクションをこう語っている。「このコレクションが私の最高コレクションかどうかはわからない。だが、あれは確かにもっとも美しいコレクションだ」

 

3.リーリャ・ブリークとの友情

リーリャ・ブリーク=ミハイル・オジョルスキイ撮影/ロシア通信リーリャ・ブリーク=ミハイル・オジョルスキイ撮影/ロシア通信

 ロシアの革命詩人ウラジーミル・マヤコフスキーとの熱烈なロマンスで広く知られているリーリャ・ブリークは、時代を凌駕した女性と見なされていた。美人というわけではなかったが、男性たちに言い知れぬ影響を与えた。20世紀初めの多くのすぐれた画家、作家、詩人たちが彼女を自分のミューズと呼んだ。「ロシア・アヴァンギャルドのミューズ」というあだ名もそれに由来する。

 イヴ・サンローランはリーリャ・ブリークと、偶然にモスクワの空港で知り合った。リーリャはもう80歳を越えていた。後に、彼の親友で、デザイナーとしてのパートナーだったピエール・ベルジェは回想する。「私たちのそばを印象的な赤毛の女性が通り過ぎた。裾の広がった毛皮外套を着ていた……」

 イヴ・サンローランはその女性にこの上なく興味深い話し相手を見出した。「リーリャ・ブリークとは、全くどんなことでもすべて正直に話すことができた。情事の話、誠実さや絵画の話、政治の話でさえ……もちろん、モードの話も」と彼は言った。

 イヴ・サンローランはたくさんの自作の服をリーリャに贈り、85歳の誕生日には夜会服を贈呈した。彼女はそれがとても気に入り、社交界に同じ衣裳を着て2度は出ないという作法に反して、たびたびその服を身につけた。

 

4.マイヤ・プリセツカヤとの仕事

マイヤ・プリセツカとイヴ・サンローラン、1971年=Corbis/Vostock-Photoマイヤ・プリセツカとイヴ・サンローラン、1971年=Corbis/Vostock-Photo

 ロシアの伝説的なバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤにファッション傾向を伝え、パリのデザイナーたちを彼女に紹介したのは、フランスの作家、批評家ルイ・アラゴンの妻でリーリャ・ブリークの妹だった作家のエリザ・トリオレだ。世界のバレエ界のスター、プリセツカヤは、イヴ・サンローランのまさしく歓喜の的になった。彼はプリセツカヤがバレエ『バラの死』で着る衣裳を制作した。まるでバラの花びらで縫い合わせたかのような穏やかなバラ色で、しかもまったく動きを妨げない軽やかな衣裳は、ボリショイ劇場アトリエの婦人服部門で絶賛され、この演目の、繊細かつ劇的で革新的な精神にぴったりだった。

 

5.死後の愛

 モード界に革命を起こしたデザイナー、イヴ・サンローランは2008年に逝去した。しかし彼の名前のついた「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」、「イヴ・サンローラン・ボーテ」は、彼のロシア熱を受け継ぎ、時にふれて、ロシアからインスピレーションを得た作品を生み出し続けている。たとえばロシア限定版香水「マグニフィシェント・ブロッサム・オリエンタル・コレクション2015」が登場したが、これは専らロシアのために作られた香水で、2014年には、やはりロシア・バレエへのイヴ・サンローランの永遠の愛にちなんだ楽しいアイシャドー・セットが販売されている。

写真提供:gum.ru写真提供:gum.ru

 

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