芸術とロシア女性

五輪開会式で「戦争と平和」のヒロイン、ナターシャ・ロストワ役を踊るボリショイバレエのプリマ、スベトラーナ・ザハロワ=Getty Images/Fotobank撮影

五輪開会式で「戦争と平和」のヒロイン、ナターシャ・ロストワ役を踊るボリショイバレエのプリマ、スベトラーナ・ザハロワ=Getty Images/Fotobank撮影

ロシアの女性のイメージとは? ソチ冬季五輪の後、フィギュアスケートのユリア・リプニツカヤ、女子カーリングチームの美女たち、聖火ランナーのアリーナ・カバエワらが浮かぶかも。しかし、五輪の開・閉会式を見た人たちにはバレリーナのスベトラーナ・ザハロワやディアナ・ビシニョーワのあでやかな姿が強烈な記憶として残ったかもしれない。

 芸術においてロシアの女性たちは性の平等が叫ばれる以前から称賛を勝ち得てきた。

 帝政ロシアの貴族たちは娘のために音楽や舞踊や絵画の教師を雇い、農村の乙女たちはうんざりする田舎暮らしを彩るために合唱をたしなんだ。

 

 例えば、プラスコビヤ・コバリョワ=ジェムチュゴワは才能を開花させシンデレラのように農奴の娘から伯爵夫人となった。

 魅惑のソプラノの持ち主で優れたハープ奏者だったプラスコビヤはシェレメチエフ伯爵ばかりでなくエカテリーナ2世の心も虜(とりこ)にした。

 ジェムチュゴワの芝居を観劇した女帝は彼女にダイヤモンドの指輪を贈った。

 しかし、かつての農奴の娘は結核で声を失い、出産後ほどなく命を落としてしまった。

 その他の女優や舞踊家たちの生涯はそれほどドラマチックではないが、幾人かはジェルジャビン、プーシキン、グリボエードフという古典詩人たちの作品にその名を刻んだ。 

 輝くばかりに、軽やかに/魔法の楽弓の音に合わせ/ニンフの群れに囲まれて/イストミナが立っている。/彼女は、片足を床に触れ/もう片方をゆっくり回し/ふいに跳ね、ふいに飛ぶ/風神の口の柔らかな毛さながら(プーシキン「エフゲーニー・オネーギン」)

 昨今、女性の俳優や舞踊家についての詩が創作されることは少ないが、批評家たちが彼女らについて文章を書いたり写真に撮ったりし、現代の「芸術の虫」たちの物語を世界中に広めている。

 

スベトラーナ・ザハロワ

 1979年ウクライナ生まれ。6歳から地元のダンス・サークルに通い、民族舞踊を習う。10歳でキエフ振付学校に入学。95年にサンクトペテルブルク国際児童舞踊家大会で準優勝し、同地のワガノワ・バレエ・アカデミーへの転校した。マリインスキー劇場の重要な公演すべてに参加。99年からニューヨーク・シティ・バレエ、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、東京新国立劇場などでの公演に出演している。

 羽毛のように軽やかで見事な体形のスベトラーナ・ザハロワはボリショイ、マリンスキー、スカラ座というロシア内外の一流劇場で主役を演じてきた。

 ソチ五輪の開会式では文豪レフ・トルストイの「戦争と平和」の宮廷舞踏会で踊るナターシャ・ロストワの役を演じた。自分より年下の役柄だが、気品にあふれた姿やスズメバチのようにくびれた腰に年齢や出産の影を落としていない。

 幼年期から、彼女は同い年の子供たちの一歩先を行き、舞踊学校付属の寄宿舎で暮らしながら自主性を身につけ、キエフ、レニングラード、モスクワのバレエ学校の一番いいところを吸収していった。

 ザハロワはバレエで大事なのは内面的な美しさだとタス通信に語っている。

 「表現したいものがあれば、舞台で美しくなることができ、魔力と魅力が表れる。私の目標は舞踊で新たな美的限界に挑むこと」

 

 ザハロワは芸術と政治の世界に生きている。

 昼は、モスクワ市議会議員としてバレエ界の権利を主張し、男性舞踊家の徴兵に異議を唱えた。夜は、近くのボリショイ劇場でバレエのパートを次々にこなしてきた。

 彼女はバレエ一筋だった。それでも、性に関する偏見に満ちたロシア社会に示すことができた。

 36回続けてフェッテを回れる女性でも立派な母親になれることを。そして、「偉大なロシアバレエの伝統の発展」をたたえるロシア国家賞を片手間のように受けられることを。

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