キュウリの彫刻がある街

ルホヴィツィのキュウリはわずか10年で、ロシア全土に知られるまでになった=タス通信撮影

ルホヴィツィのキュウリはわずか10年で、ロシア全土に知られるまでになった=タス通信撮影

この緑色の長いインドの野菜は、誰もが知っている。中世にヨーロッパに伝わり、ヨーロッパ料理の主な食材となった。その名はキュウリ。時の流れとともに改良され、国別対抗や地域別対抗まで生じ、「最高の」キュウリを生産する、「キュウリの首都」なるものまで現れた。ロシアではルホヴィツィ市がそのような場所だ。

世界各地の「キュウリの首都」 

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 主なキュウリ首都と認識されているのは、ウクライナ北部のネジン町。女帝エカテリーナ2世がネジン町に立ち寄った時、地元の塩漬けキュウリを食べて、そ のおいしさに感動し、サンクトペテルブルクの宮殿ではこのキュウリ以外出さないようにと命じた。農学者によると、ネジンのキュウリの質が優れているのは、土壌の銀イオンが豊富だからだという。

 他にキュウリ首都を名乗っているのは、エストニアのタフクランナと、ベラルーシのシュクロフ。さらにアメリカ・ミシガン州のベリエン・スプリングスは、世界のクリスマス・ピクルスの街だと主張している。

 

ロシアではモスクワ郊外のルホヴィツィ 

 モスクワ郊外のルホヴィツィは20世紀以前、グルホフ村と呼ばれていた。すべてが変わったのは、モスクワからリャザンまで鉄道が敷かれ、さらに経済的に重要なチェリャビンスクまで道路がつくられた時。


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 ルホヴィツィは勢い良く発展し、20世紀半ばには航空機工場も建設された。この工場は世界的に有名なジェット戦闘機「ミグ29(MiG-29)」も生産している。航空機工場で働く地元の人々は当時、庭でキュウリを植えていた。ここでは晴天日が多く、また街から30キロメートルほど離れた、モスクワ川がオカ川に合流する場所では、よく雨がふり、水が豊富なため、栽培に適している。

 

戦闘機からキュウリへ 

 ルホヴィツィは半秘密産業都市であったが、ソ連崩壊後の1990年代、地元の産業は困難に直面し、住民は畑仕事に精を出すようになった。

 工場の元エンジニアは工場の戦闘機と同様、畑の野菜に愛情をそそいだ。灌漑の実験を行うようになり、現在はキュウリに温水のみを散布している。さらに新しい交配種も約70種ほどまで増やした。ルホヴィツィのキュウリはわずか10年で、ロシア全土に知られるまでになった。

 イタリア人がパスタ、スイス人がチーズにこだわるように、ロシア人も自家製の貯蔵品にはこだわりを持っている。キュウリの塩漬けをつくる際には、一般的なニンニクやディルだけでなく、果樹の葉を入れ、最高品質のキュウリを漬けたりする。

 

キュウリの彫刻、ファンサイト、博物館、年次フェスティバルも 

 塩漬け用やサラダ用など、異なる用途と好みに合わせて生産されているこの街のキュウリには、今や彫刻までできている。そこに記されているのは、「キュウリ・大黒柱へ、感謝しているルホヴィツィっ子より」

 複数のファン・サイトや博物館があり、年次フェスティバルも開催されている。この街の人々は、他にも キュウリの首都があることを知っているが、さほど気にしていないようだ。少なくとも、ミグ29でミシガン州のベリエン・スプリングスを攻撃するようなことはない。