モスクワ大学本館が開館

写真提供:AirPano.com

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1953年の今日、9月1日に、モスクワの雀が丘にあるモスクワ大学本館が開館した。

 これは、内部に学部、大学事務所、学生寮、食堂、郵便局、映画館、商店、病院、25メートルプールつきの体育館から、果ては理髪店まであるという、多目的マンモスビルで、いわゆるスターリン建築を代表するセヴン・シスターズのなかでも一番高い。

 36階建てで、高さは182m。尖塔をあわせると240mに達し、1990年までは欧州最高を誇った(この年にフランクフルトで竣工したメッセタワーは、高さ257m)。

 本館に学部がある学生は、その気になれば、学期の最初から最後まで、建物の外に出ないこともまんざら不可能ではない。

 

スターリンの発案 

 この巨大ビルの建設の音頭をとったのはご多分にもれずスターリンで、彼の提案にもとづいて1947年1月に、ソ連閣僚会議が、8つの摩天楼をモスクワに建てることを決めた。

 設計は初め、ボリス・イオファン(幻に終わった超摩天楼「ソビエト宮殿」の設計者)が担当し、その後、レフ・ルドネフに代わった。

 巨大な建物を支える基礎部分には、ニコライ・ニキーチンが開発した新たな技術が用いられた。彼は後に、オスタンキノ・テレビ塔、ルジニキ・スタジアム(オリンピック・スタジアム)やヴォルゴグラード(旧スターリングラード)の「母なる祖国の像」などの基礎も設計している。

 モスクワ大学本館は、1948年に着工し、53年に竣工した。

 

全体の構造 

 全体の構造は、中央の高いビルを4つの低いビルが囲む形になっている。これはイオファンの発案だ。中央棟は、学部、事務所、博物館、ホール(1500人収容)などからなり、32階に展望台がある。

 回りの4つの棟は主に、教員、学生、大学院生の寮をはじめ、日常生活に必要なインフラがそろっている。

 

ベリヤが建設を指揮 

 建設を指揮したのは、大粛清の組織者の一人であった副首相ラヴレンチー・ベリヤで、建設作業には数千人の囚人が動員された。本館の仕上げ(内装)のために、22階の部分に、700人の囚人が入る特別ミニ収容所が設置されていた。

 ベリヤは、建築資材として、一部核施設のものを転用している。また、化学部では、ドイツから“戦利品”として運んで来た家具も使っている。

 設計、費用見積もり、ビルの階数、尖塔の高さなどはスターリン自ら承認した。