ツポレフ144がパリ航空ショーで墜落

写真提供:wikipedia.org

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1973年の今日、6月3日に、ソ連の超音速輸送機ツポレフ144が、フランスのル・ブルジェ空港で開催されたパリ航空ショーで墜落し、乗員6名と地上の住民7名が犠牲となった。原因は極秘扱いとなり、今日まで様々な憶測を呼んでいる。

 超音速輸送機ツポレフ Tu-144(ツポレフ144)は、ソ連のツポレフ設計局で設計、製造され、そのコンコルドそっくりの外観から、その“コピー”の意味も込めて、コンコルドスキーというあだ名をつけられた。

 とはいえ、初飛行は、こっちの方がライバルよりも早かった。開発開始は1963年、試作機の初飛行は1968年12月31日である。設計に際しては、戦闘機のミグ21がベースとなった。

 ツポレフ144は、いわゆるカタログ性能面では、ライバルのコンコルドを全面的に上回っていたものの、2度墜落事故を起している。そのうちの一つが、1973年のパリ航空ショーでの事故だ。

 

事故原因に関する説 

 パリ航空ショーでの墜落事故については、いつかの説がある。

  1. フランスのミラージュ戦闘機が、ツポレフ144を撮影するために突然現れ、ツポレフは、衝突を避けるために、無理な飛行をした。
  2. パイロットが、設計で想定されていない無理な飛行を試みた。
  3.  パイロットの1人が飛行中に、アマチュア用のビデオカメラを使用していたところ、うっかり手から落とし、それが操縦桿にぶつかって位置をずらし、その結果、無理な飛行に陥って、機体が破壊された。

 事故の映像では、胴体が過重な負荷のために2箇所で壊れるようすが確認できる。

 ツポレフ144の運航は、早くも1978年には中止されてしまう。その主な原因は、あのコンコルドをも下回る燃費の悪さで、改造を試みたが、結局、解決できなかった。