写真提供:Liftarn
GAZ は、歴史的にアメリカのフォード社との関係が深く、1929年に、フォードとソ連の共同事業として、現在の本拠地であるニジニ・ノヴゴロドで開業した。1932年に、市が作家マクシム・ゴーリキーにちなんでゴーリキー市に改名されたのにともない、社名も現在のものに変わった。
この工場で作られた最初のモデルは、フォード・モデルAをベースにした中型乗用車GAZ -Aと、フォード・モデルAAをベースにしたトラックシャーシのGAZ -AAだった。
なつかしの「勝利」
やがて、GAZの技術者はフォードに頼らず、国産車の開発に取り組み、大戦のさなかに、戦後に製造される新モデルの開発に着手。
大戦後まもなく、GAZ-M20 ポベーダ(勝利)の生産が46年に始まり、58年まで製造された。
1950年代後半からは、ポベーダの後継モデルとして、中型セダンの「ヴォルガ」や、V型8気筒エンジン搭載の大型乗用車「チャイカ」(かもめ)が開発、製造された。
チャイカ=結婚式
チャイカは7人乗りで、195馬力。第21回ソ連共産党党大会開会に合わせて作られた。
当初はもっぱら公用車として使われたが、例外が二つあった。ソ連指導者(第一書記)のニキータ・フルシチョフが、大長編『静かなるドン』で知られる作家ミハイル・ショーロホフにプレゼントしたものと、宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンの所有していたものだ。
チャイカは、フィンランド、東欧のほか西側にもかなり輸出された。
チャイカは、戸籍登録機関(ザックス)にも置かれたが、結婚式はザックスで挙げるので、結婚→チャイカという、切っても切れないイメージがあった。今でもチャイカから自分の結婚式を思い出し、胸をときめかせるお年寄は少なくない…。
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