サンクトペテルブルクで帝国公共図書館、19世紀。
開館式には、詩壇の長老ガヴリーラ・デルジャーヴィンをはじめ、画家オレスト・キプレンスキー(詩人プーシキンの肖像画で有名)など文化人が顔をそろえ、200人以上が出席した。
ロシアでは、18世紀に、フランス啓蒙思想の大きな影響もあり、大きな個人蔵書をもつ人は増えつつあり、18世紀前半には科学アカデミー付属図書館なども開設されたが、誰でも利用できる公共図書館はついに作られなかった。だが、そうした図書館の開設は、教養ある優秀な官僚を必要としていた政府にとっても急務だった。
公共図書館開設の意向を初めて明確に打ち出したのは、啓蒙専制君主のエカテリーナ2世である。女帝の構想によれば、図書館は、帝国の力と、彼女の啓蒙への意思とを具現するものとなり、範を西欧の公共図書館にとって、ロシアのあらゆる印刷物、書籍を集めるはずであった。
「公共図書館」の名にふさわしく
しかし、女帝の構想が実現したのは、彼女の死後約20年後の1814年だった。
当初、図書館の利用者は年間600人程度であったが、商人、学者、町人、軍人、学生、役人、僧侶など、さまざまな階層の人が訪れた。
最初の利用者のなかには、詩人でのちにデカブリストとなるヴィリゲリム・キュヘリベッケルや偉大な数学者ニコライ・ロバチェフスキーなどがいる。ロバチェフスキーは、非ユークリッド幾何学の一つ、双曲幾何学の創始者だ。
現在でもこの図書館は、「公共図書館」の名にふさわしい開かれた図書館だ 。レーニン図書館と同じく、パスポートを提示すれば、外国人旅行者でもすぐに入館証が作れる。1917年のロシア革命前の書籍に関しては、世界最大の蔵書数を誇る
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