マヤコフスキー博物館の展示は硝子張りの陳列棚と展示品というおなじみの展示ではなく、舞台装置を思わせる。同館のメモリアル・ステップはマヤコフスキーが自ら命を絶った部屋へと通じている。=M・アブデエフ撮影
マヤコフスキー博物館の展示は硝子張りの陳列棚と展示品というおなじみの展示ではなく、舞台装置を思わせる。同館のメモリアル・ステップはマヤコフスキーが自ら命を絶った部屋へと通じている。
文学の息吹
このアパートの中にソ連時代の作家、詩人ら数十人の人生が錯綜している。ここはミハイル・ブルガーコフの長編の舞台となった場所の一つであり、同時に、彼の生涯のロマンスの舞台でもある。
1921年にここの5階の小さな部屋で、キエフからやってきた1人の男が住民登録証を受け取った。彼の住民登録を手伝ったのはソ連人民委員会議長ウラジーミル・レーニンの妻ウリヤーノワだった。
3年前の1918年8月に、同じこのアパートに住みついた女性エス・エル(社会革命党)のファニー・カプランはレーニン暗殺を試み、その場で逮捕された。
有名な舞踊家イザドラ・ダンカンがここで、ただ一人の観客だった愛する詩人セルゲイ・エセーニンのために踊った。詩人ウラジーミル・マヤコフスキー、オペラ歌手フョードル・シャリャーピン、芸術家たちのパトロン、サッワ・マモントフも、このアパートを訪ねた。
しかし、この栄えあるアパートでブルガーコフは隣の部屋に住む、自分と違うモラルを持つ別の生活と衝突しなければならなかった。
夜ごとに彼の眠りを奪い、昼間の平穏を乱した隣人たちは、作者の長編『巨匠とマルガリータ』や短編の登場人物のモデルになった。口うるさい隣人女性アンナ・ゴリャチェワは作家に忘れ難い印象を残したため、彼女の姿はブルガーコフの短編、中編、長編をつねに渡り歩く。
土曜の夜、歴史あるモスクワの都心が古い時代、つまり前世紀20年代の姿でよみがえる。 ソ連の看護員らが注射を手にし、狂人詩人イワン・ベズドムヌイを探して、玄関口から飛び出してくる。トベリ通りでは、ブルガーコフが愛するエレーナ・セルゲエブナにあてた手紙を朗読している。モスクワ文学協会の家の壁のそばを一糸まとわぬマルガリータが動き回る。
物語は、シナリオもなく、自然に進んでいく。だがそれは、単にそう思われるだけだ。
「文学を演劇と共存させ、相互作用し合う見学にするというアイデアが生まれたのは、6年前」と「ブルガーコフの家」博物館付設劇場で行われている「演劇付き見学」の演出家カテリナ・エステルリスさんは言う。
「若い人たちが、ちょうど私たちがブルガーコフを愛しているのと同様にブルガーコフを好きになってくれるよう、彼らを驚かせたかった」
今多くの演劇カンパニーや文学博物館は共同で力を合わせて「演劇付き見学」や「創造的集い」を行っている。
「私が『演劇付き見学』への出演を依頼された時、長いこと迷った」と、シチェプキン演劇学校の学生、ミーシャは説明する。
「でもやり始めてみて、これは何か新しいものだということが分かった。今は、こんな『演劇付き見学』で演じるのが大好きだ。カーテンコールがないのは、やはり残念だけど」。
この一冊
巨匠とマルガリータ、ミハイル・ブルガーコフ 著、中田 恭(翻訳)
宗教制度の崩壊とその結果としての精神的および道徳的な淪落(りんらく)の時代である1930年代、聖書をモチーフとした小説は出版されず、ブルガーコフは自身の作品を焼却しようとしていた。執筆再開は、作家とスターリンが電話で交わした密談と関連している(その内容を知る者はいないが)。1937年から1938年にかけての大粛清にもかかわらず、ブルガーコフとその家族は一人も逮捕されなかった。
海と灯台の本 [大型本]、 ウラジミール・マヤコフスキー 著、ボリス・ポクロフスキー (イラスト)、松谷 さやか (翻訳)
これは、詩人の同名の詩に挿絵を添えた児童書。マヤコフスキーは船乗りという仕事ばかりでなく海が「嵐と怒濤(どとう)」の時に船を導く灯台守という地味な仕事も面白く魅力的であると説いている。
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