画家カンディンスキー ドイツ占領下のパリ郊外に死す

抽象絵画の先駆者のひとりである、ロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)が、ドイツ占領下のパリ郊外で亡くなった。

ワシリー・カンディンスキー、1913年

ワシリー・カンディンスキーは、モスクワの裕福な商家に生まれ、子供時代をオデッサで過ごす。モスクワ大学で、法律と政治経済を学んだ。

民衆芸術との出会いが転機に 

カンディンスキーは、1889年にロシア北部のヴォログダでの民族調査に加わり、民衆芸術に開眼。絵画に専念するため、96年にミュンヘンに移る。

1900年ころから、ディアギレフの「芸術世界」のグループと交流し、1909年には、新ミュンヘン美術家協会会長となる。1911年には、「青騎士」を結成した。1910年以来、抽象画を描き始め、代表作のひとつ『コンポジション』シリーズは、この時期に描かれた。

革命後の1918年にモスクワに戻り、芸術文化関係の要職につく。当時はまだ、前衛芸術は、当局から「革命的」と位置づけられていた。カンディンスキーは、美術館システムの確立や美術教育プログラムの作成などに尽くし、のちのバウハウスにも影響を与えた。

深い精神性と神秘性 

しかし、カンディンスキーは次第に政治的に孤立するようになり、21年に再びドイツに戻る。翌年からバウハウスに招かれて教官となり、ナチスが政権について閉鎖されるまで、勤務を続けた。その後、フランスに逃れ、パリ郊外に住んだ。

彼は美術評論家としても時代をリードし、モンドリアン、マレーヴィチなどとともに、抽象絵画の創始者とされているが、その深い精神性と神秘性は、一筋縄でいかぬ多面性を示している。