『黄金の環』

「黄金の環」といえば、11~12世紀にキエフ・ルーシが衰退した後に栄えたウラジーミル大公国の古都群で、ソ連時代から今にいたるまで大人気の観光スポットだ。 しかし、古都群を「黄金の環」としてひとまとめにブランド化する発想は比較的最近のものだった。芸術を専門とするジャーナリスト、ユーリー・ブイチコフさん(81)が、1967年に愛車「モスクビッチ」で古都めぐりをした際に偶然考えついた。 1967年に、ソ連閣僚会議が、スーズダリに巨大ツーリストセンターを建設する決議を採択した。

偶然から着想

 当時、ブイチコフさんは「ソビエト文化」紙で働いていた。編集部からスーズダリに赴き、「観光の発展」について書くように言われた彼は、愛車で同市を訪れたが、帰り際にふと、同じルートで戻るのも芸がないと思い、ヤロスラフ街道(現M8高速道路)を経由することにした。

 モスクワからの往路と復路は、ちょうど閉じた環のような形になり、古都群をつなぐことに気がついた。これは発見だった。大公国を研究していた人は多かったのに8都市と5州を結びつける発想は誰にも浮かばなかった。

 その環をなす8都市は、セルギエフ・ポサード、ペレスラブリ・ザレスキー、ロストフ、ヤロスラブリ、コストロマ、イワノボ、スーズダリ、ウラジーミル。

 ブイチコフさんはモスクワに戻ると、訪れた都市の見聞記のシリーズ「黄金の環」を書き出した。

 

今や観光ブランド

 やはり1960年代のこと、ブイチコフさんは「全ロシア歴史文化保存協会」の設立者の一人となった。協会は、彼の見聞記に興味をもち、黄金の環めぐりの調査研究旅行を大々的に行った。

 ブイチコフさんがロシア最高の観光ブランドの一つを考えだしたことは、あまり広く認識されなかったものの、20年後には、「黄金の環」の旅行ガイドは、世界10カ国語発行されるにいたった。

 黄金の環に入ったラッキーな都市のあいだで、どの都市が「真珠のヘッド」かをめぐって論争が起きたりした。古都はすべて鉄道で結ばれており、観光バスも出ている。しかしスーズダリは、鉄道から外れており、そのおかげで、町全体の近代化が遅れ、古の面影が長く保たれることになった。  スーズダリの キリスト降誕聖堂(写真右)とコストロマの神現聖堂(写真左)=Lいずれもローリ/レギオンメディア撮影

 

お勧めはスーズダリ

 もしモスクワで1日暇があれば、スーズダリに行くべきだ。首都からわずか220㌔、バスで4時間半にすぎない。これほど「ロシアの匂い」が濃厚な街にはなかなかお目にかかれない。

 パブロフスコエ村の道路の左側にある質素なホテルの中庭には、竜ゴルイニチを退治をする勇士ドブルイニャの巨像がそびえている。

 

修道院と寺院の町

 スーズダリが年代記で初めて言及されるのは1024年。かつてここは、ロシアの精神文化の中心だった。9平方㌔の範囲に五つの修道院と約30の寺院、教会、14の鐘楼がひしめいている。これと比較できるのはエルサレム旧市街くらいだ。

 スーズダリでは5階を超える高層建築は禁じられている。観光は商いが行われていた広場から始めるといい。長い商店街の円柱の回廊はタカの形をした風見鶏で終わる。タカは市のシンボルで、紋章にもなっている。この広場から、クレムリン通りに沿って進む。右側にある小高い丘に登ると眼下にすばらしいパノラマが開ける。

 

四つの世界遺産

 スーズダリには、ユネスコの世界遺産に登録された建造物が四つもある。スパソ・エフフィミエフ修道院(14~17世紀)、クレムリン、ロジェストベンスキー(キリスト降誕)大聖堂(1233年創建)、そして、キデクシャ村にあるボリス・グレープ聖堂(1152年)。

 ほとんどの建築、遺跡が一般公開されており、市全体が文化遺産として保護されている。

 もう一つ、スーズダリといえばアルコール飲料の蜜酒(メドブーハ)が有名だ。香り高く美味で安い。