アブラムツェヴォ

モスクワ近郊にあるアブラムツェヴォ村は、19世紀の創造の一中心地で、1870年代末に、画家ヴァスネツォフ、ヴルーベリらを中心に美術集団「アブラムツェヴォ派」が形成され、ロシア世紀末芸術をリードした。旅行客にとっては今でも興味深い観光スポットだ。

ウィリアム・ブラムフィールド撮影

モスクワ州に現存する農村で最も著名なのは、おそらくモスクワの北東約48キロに位置するアブラムツェヴォだろう。アブラムツェヴォは森林に囲まれた環境と、それとロシア文化との間にできた深い繋がりで知られている。


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スラヴ派アクサーコフ家の領地に 

この地方はすでに17世紀頃までには人が居住していたが、アブラムツェヴォが知的な意味で重要性を帯びたのは、スラヴ派の先駆けであるセルゲイ・アクサーコフ(1791〜1859年)が村を入手した1843年がきっかけとなっている。19世紀中頃、アクサーコフは、ニコライ・ゴーゴリやイワン・ツルゲーネフといった作家を含む数々の文化人を暖かく迎え入れた人物として、その名が広く知れわたった。

芸術の大パトロンである鉄道王マモントフが買収 

1870年、アブラムツェヴォは、先駆的なモスクワの実業家であるイワン・マモントフの息子、サッヴァ・マモントフ(1841〜1918)に売却された。サッヴァは、父親と同様に、ロシアにおける鉄道敷設をリードしたが、芸術やロシアの伝統文化へも関心も抱いた。

マモントフと妻のエリザヴェータは、アブラムツェヴォの購入を通じて、モスクワから離れた牧歌的な隠遁所だけではなく、文化と工芸の復興に専念するグループが集うことができる環境も獲得したわけだ。

純ロシアスタイルの建築 

1870年代初めにアブラムツェヴォで初めて活動した芸術家のなかにはヴィクトル・ガルトマンとイヴァン・ロペーがいるが、彼らは建築設計における「ロシア復興」スタイルの提唱者となった。

ガルトマンは、木彫刻の装飾がふんだんに施されたアブラムツェヴォのスタジオを建造した。今日、このスタジオは、アブラムツェヴォで創作された斬新なデザインの陶磁器を展示する美術館として使用されている。その近くには、丸太で作られたロペーの浴場があるが、これは「テレモーク」として知られるロシアのおとぎ話を題材に用いた装飾建造物に似せて作ったものだ。テレモークは左右が非対称の各種の装飾を統合したもので、20世紀初頭には当時の革新的建築を代表する特徴へと発展した。

美術集団「アブラムツェヴォ派」

アブラムツェヴォのグループの中でも最も活発だったのは、画家のワシーリー・ポレーノフの妹であるエレーナ・ポレーノワ(1850〜1898)だ。1882年、彼女は家具と木工品の店を開き、その品に小作農工芸の伝統を取り入れた。

しかし、ポレーノワの事業で最も生産的だったのは陶磁器の工場だ。これは1889年以降、モスクワのデザインと建築に重要な影響力をおよぼすようになった。その例として、ポレーノワは、豊かなファンタジーをもつ画家ミハイル・ヴルーベリの才能に頼ることができた。

彼の陶磁器デザインは、アブラムツェヴォの屋敷内にある暖炉のタイルや、ガルトマンのスタジオ内に保存されている。近くにあるガラスの天蓋の下には陶製のベンチが置かれているが、これはヴルーベリが神話のモチーフを空想のデザインに取り入れたものだ。

美術集団による礼拝堂 

このような様々な創造的要素は、アブラムツェヴォの小さな礼拝堂の設計と建築に集約されている。ホトコフ修道院は3キロほどしか離れていないが、復活大祭の頃になると洪水がよく起こるため、マモントフは礼拝堂をアブラムツェヴォの敷地内に建造することにした。共同体が力を合わせて礼拝堂を建造したことは、ロシア美術史でも名高い出来事となっている。それは、人々の精神生活に芸術を吹きこむことに傾注したグループによる、芸術的な融合の実現なのだった。実際、この教会は、建造物としては素人の手によるものであるが、委員会、学術的な規定や、複雑な工学手法などによって制約されていない。

伝統と現代性の統合 

ワシーリー・ポレーノフによる教会の設計初期段階のスケッチには、初期中世ノヴゴロドの建築からのアイディアが反映されている。その他、12世紀のウラジーミルの生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)からのものを含む要素が、画家ヴィクトル・ワスネツォフの設計の再構想案に取り入れられており、教会の建造は、構造的な明確さと、建材と形状の緊密さを強調した。ロシアの過去の歴史や半神話的な題材を描いた画家のワスネツォフは、これらの要素を、1881年から1882年にかけて建造された小型建造物の傑作に統合した。この教会は誇張された輪郭線が特徴で、南側には区画化された曲線の大きな窓がある。

内装の装飾および備品のデザインには、ポレーノフとワスネツォフだけでなく、イリヤ・レーピンやアポリナリー・ワスネツォフ(ヴィクトルの弟)といった画家、彫刻家のマルク・アントコルスキーや、エリザヴェータ・マモントワが関わっている。

特に重要なのは、内装(伝統的なロシア型暖炉に用いられている)と外面のドーム下にある装飾用の細長い部分の両方に用いられた陶製タイルだ。教会が完成した10年後、ワスネツォフは北側のファサードに埋葬堂を増築した。この増築にはアブラムツェヴォのタイルが見事に貼り尽くされている。この救世主教会は、ロシア建築における伝統と現代性をつなぐ先駆的な表現だった。

リムスキー=コルサコフのオペラ『雪娘』上演 

アブラムツェヴォの共同体が持つ創造性は、審美と精神世界の両方を強調するという多様な文化的傾向に反映された。この文化的復興は、工芸や美術や建築だけでなく、演劇、音楽や舞台デザインなども含む、様々な芸術間の相互関係を刺激した。これがアブラムツェヴォの多彩な活動の特徴だ。

ここでの素人演劇の上演に参加した者のなかには、オペラ歌手のフョードル・シャリャピンや演出家のコンスタンティン・スタニスラフスキーなどがいる。アブラムツェヴォで開催された文化的行事のなかでも最も著名なのは、1886年に行われたリムスキー=コルサコフによるオペラ『雪娘』で、この制作にはアブラムツェヴォのアーティストたちによる大道具デザインが使われた。

自然と文化の融合 

今日、アブラムツェヴォの訪問者は、中央に位置する建物群に加えて、ヴィクトル・ワスネツォフが1883年に制作した「鶏の足をもつ小屋」などの空想的建築物を見学することもできる。これらのすべては、小さなボリャ川を見渡す牧歌的な森林のなかにある。この地所にある博物館の集合体は、その小規模さが魅力的であるが、同時にロシアの芸術文化においてアブラムツェヴォが担う恒久的な遺産をも物語っている。