イリヤ・レーピン画『ツルゲーネフ』(1874年)
すばらしいスパスコエ
オリョール州のスパスコエには、ツルゲーネフの家博物館があるが、瀟洒な大邸宅と美しく壮大な自然は一度見たら忘れられない。しかし、ツルゲーネフの幼年時代は、牧歌的というにはほど遠かった。
のちに「ムムー」などに描かれているように、母親は農奴をしばしば虐待し、ツルゲーネフの心を傷つけた。
モスクワ大学とペテルブルク大学で古典文学とヘーゲル哲学を学び、さらにベルリン大学に1831年から41年にかけて留学し、学位をとった。
ヴィアルド夫人の追っかけ
43年に物語詩「パラーシャ」で文壇にデビューしたが、同年、「セビリアの理髪師」のロシア公演で、オペラ歌手ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドの舞台を見て、一目ぼれし、宿命の恋に落ちた。
彼女はすでに結婚しており、子もいたのだが、ツルゲーネフは、45年には、彼女の後を追って、パリに移り住む。そして、ヴィアルド夫妻とツルゲーネフの奇妙な三角関係が生涯続くことになる。
ヴィアルド夫人は、けっして美貌ではなかったといわれるが、広い声域に恵まれ、演技力と情熱を兼ね備えた舞台は圧倒的だった。崇拝者はほかにも、作曲家のベルリオーズ、ショパン、グノー、サン=サーンス、マイヤベーアなどたくさんいたから、ファム・ファタール的な魅力があったのかもしれない。
実生活でも恋愛の巨匠
しかし、ツルゲーネフは、もっぱら、しんねりむっつり三角関係に沈潜していたわけではなかった。長身の美男子で金持ちの彼は、女性にもてないタイプのトルストイやドストエフスキーとはちがい、アバンチュールの相手には不自由しなかった。その相手のなかには、トルストイの妹マリアもいた。
ちなみに、トルストイもドストエフスキーも、ツルゲーネフと大喧嘩したことがあり、トルストイとはあわや決闘というところまでいった。この辺、肌合いのちがいやルサンチマンもものを言ったかもしれない。
昨年亡くなったロシア文学者の藤沼貴氏いわく、「ツルゲーネフの描く恋愛は、それぞれタイプがぜんぶちがいます。恋愛の万華鏡みたいなものですね。たとえば、『初恋』のジナイーダは、鞭で叩かれる場面でわかるが、マゾですよ」。
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