作家イワン・ツルゲーネフの誕生日

イリヤ・レーピン画『ツルゲーネフ』(1874年)

イリヤ・レーピン画『ツルゲーネフ』(1874年)

1818年の今日、11月9日(ユリウス暦10月28日)に、作家イワン・ツルゲーネフ(1818~1883)がオリョール県の裕福な地主の家に生まれた。彼は、「ルージン」、「父と子」、「貴族の巣」、「その前夜」などの作品で、アクチュアルな社会的問題をつぎつぎに提起し、19世紀ロシア文学を代表する作家のひとりとなった。しかしその本領は、女性と恋愛の描写の、類例のない多彩さにもあった。

すばらしいスパスコエ 

 オリョール州のスパスコエには、ツルゲーネフの家博物館があるが、瀟洒な大邸宅と美しく壮大な自然は一度見たら忘れられない。しかし、ツルゲーネフの幼年時代は、牧歌的というにはほど遠かった。

 のちに「ムムー」などに描かれているように、母親は農奴をしばしば虐待し、ツルゲーネフの心を傷つけた。

 モスクワ大学とペテルブルク大学で古典文学とヘーゲル哲学を学び、さらにベルリン大学に1831年から41年にかけて留学し、学位をとった。

 

ヴィアルド夫人の追っかけ 

 43年に物語詩「パラーシャ」で文壇にデビューしたが、同年、「セビリアの理髪師」のロシア公演で、オペラ歌手ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドの舞台を見て、一目ぼれし、宿命の恋に落ちた。

 彼女はすでに結婚しており、子もいたのだが、ツルゲーネフは、45年には、彼女の後を追って、パリに移り住む。そして、ヴィアルド夫妻とツルゲーネフの奇妙な三角関係が生涯続くことになる。

 ヴィアルド夫人は、けっして美貌ではなかったといわれるが、広い声域に恵まれ、演技力と情熱を兼ね備えた舞台は圧倒的だった。崇拝者はほかにも、作曲家のベルリオーズ、ショパン、グノー、サン=サーンス、マイヤベーアなどたくさんいたから、ファム・ファタール的な魅力があったのかもしれない。

 

実生活でも恋愛の巨匠 

 しかし、ツルゲーネフは、もっぱら、しんねりむっつり三角関係に沈潜していたわけではなかった。長身の美男子で金持ちの彼は、女性にもてないタイプのトルストイやドストエフスキーとはちがい、アバンチュールの相手には不自由しなかった。その相手のなかには、トルストイの妹マリアもいた。

 ちなみに、トルストイもドストエフスキーも、ツルゲーネフと大喧嘩したことがあり、トルストイとはあわや決闘というところまでいった。この辺、肌合いのちがいやルサンチマンもものを言ったかもしれない。

 昨年亡くなったロシア文学者の藤沼貴氏いわく、「ツルゲーネフの描く恋愛は、それぞれタイプがぜんぶちがいます。恋愛の万華鏡みたいなものですね。たとえば、『初恋』のジナイーダは、鞭で叩かれる場面でわかるが、マゾですよ」。

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