北極圏にアフリカのお客さん

最初の15羽のダチョウが、ムルマンスク州モロチヌイ村に近い小さな畜産農場に来たのは、2007年のことだ。ここから、アンドロナクさん夫婦の家業が始まった。=イワン・ルドネフ撮影/ロシア通信

最初の15羽のダチョウが、ムルマンスク州モロチヌイ村に近い小さな畜産農場に来たのは、2007年のことだ。ここから、アンドロナクさん夫婦の家業が始まった。=イワン・ルドネフ撮影/ロシア通信

アフリカからのお客さんに挨拶するには、モップを手に取ることだ。「モップは、ダチョウに尊敬される“理由”になるんです。鳥の群れでは、背の高い鳥がボスですから」と、ダチョウの飼い主のアルチョム・アンドロナクさんは説明してくれた。アンドロナクさんが木の門を開けると、ほぼ永久凍土のムルマンスクの円丘で、ダチョウがヒメカンバをまたぎながら、悠々と歩いている。

恐竜の仲間 

最初の15羽のダチョウが、ムルマンスク州モロチヌイ村に近い小さな畜産農場に来たのは、2007年のことだ。アフリカの動物ではあるが、送られてきたのはリトアニア共和国のヴィリニュスからだ。ここから、アンドロナクさん夫婦の家業が始まった。

「ダチョウを飼育したいと知り合いに話したら、気は確かか、という反応ばかりでした。誰もがダチョウというと、アフリカの暑さをイメージするんです。ダチョウがムルマンスクに運ばれてきたのは、まだ雪が残っていた時期でした」。

かわいそうな鳥がヒーターのある家畜置き場に入れられて、ずっとクークー鳴き続け、最後に気管支炎で大量に死んでしまう―。みんなこう思い込み、この計画が現実的だとは思わなかった。北極圏でアフリカの鳥を飼育する人など、これまで世界にはいなかった。

マイナス30度もなんのその 

それでも、いくつもの氷河期を乗り越えて、7000万年も地球に存在するダチョウは、たちまち、そんな浅はかな懐疑論者を赤面させた。ここに来て数日が経過し、マイナス30度近くまで気温が下がると、モロチヌイ村の人々は“奇跡” を自分の目で確かめようと集まってきた。なんとダチョウは、堆雪に巣をつくり、雪の上で眠っていたのだ。

ヴィターリイ・アンコフ撮影/ロシア通信

 

ダチョウ観光

アンドロナクさんは当初、自分の畜産農場を観光の名所にしようとは思っていなかった。ムルマンスクのレストランや地元の美食家向けの、ダイエット用の肉として提供する予定だったのだ。

畜産農家にとって、ダチョウは「捨てるところがない」、もうかる鳥で、皮はカバンの製造に、フワフワとした豪華な羽根は帽子やボアに使えるし、目の角膜は人間に移植できる。また肉はカロリーが低く、脂は美容術に積極的に応用されるし、卵にも需要がある。

でもモロチヌイ村のダチョウたちは、このような「部品」にはならない。屠殺期は小規模で、年に1回しかなく、残りの時間は数百羽のダチョウが家畜置き場で生活し、乏しい北極圏の草やタンポポをつまみ、囲いから飛び出ているイラクサをひきちぎり、配合飼料で肥える。このような寒さに強いダチョウを見ようと、世界中から観光客が訪れ、最近ではアルゼンチンやオーストラリアからも来た。

2羽のプーチンとメドベージェフ

 

初めてこの北極圏で2羽のヒナが誕生したのは、2008年のメドベージェフ大統領就任式の日だ。

「名前を考えるのに時間はかかりませんでした。1羽はプーチン、もう1羽はメドベージェフです」とアンドロナクさんは話し、少し間を置いてニヤけた。

「ダチョウの性別は、生まれてから半年して、羽根の色が変わらないとわかりません。雄の羽根は黒くなり、雌の羽根は灰色になります。フタを開けてみたら、なんと2羽のうちの1羽は、雌だったんです。どっちが雌だったかは、念のため、内緒にしておきます・・・」。

ダチョウで新たな楽しみ 

いつからか、本物の”乗ダチョウ”がアンドロナクさんたちの趣味になった。

乗りこなせるようになるために、自分で試して失敗するという、最も有効かつ正しいやり方で練習した。練習でどれほどの青アザやコブができたか、アンドロナクさんは苦笑しながら思い出しつつ、今ではダチョウの乗りこなし方をしっかり弁えている。

これにはいかなる特別な装備も用具もいらない。アンドロナクさんは慣れた構えでヒョイと、「すでに乗りこなしてある」ダチョウの背中に飛び乗ったが、またがる前に、それをつかまなくてはならず、そのためには、たくさん走らないと間に合わない。つかんだら調教する。

調教は簡単で、最初に試したのは2007年のことだった。で、その調教の方法はというと、頭に靴下をかぶせただけだったのだ。ダチョウは前が見えなくなると怖がらなくなる。首に近い部分に座り、足を羽根の下に入れて、そのまま引っ付いている。15分から20分ほど好きなように走って疲れたダチョウは、自分で座り込み、“騎手”を下ろす。

今秋の初子のワーシャも、いずれ競走馬ならぬ競争ダチョウになるだろう。きっと1年後には騎手を乗せて、ムルマンスクの雪原をアフリカの草原のごとく走りまわるに違いない。