モスクワ、1801年
なにしろヨーロッパロシアでは地震は椿事だ。イメージ的にもヨハネ黙示録と重なるから、人々は文字通り震撼した。
住民の証言によると、カルーガとコゼリスクでは、「教会の鐘が自分で鳴り出し」、モスクワでは住民多数が目まいに襲われた。「食器ががちゃつき、ドアは勝手に開き、ガラスは震えて鳴り、漆喰は剥がれ落ち…」という程度だが、ショックは大きかった。
作家、文芸学者ユーリー・トゥイニャーノフ(1894~1943)は、小説仕立ての詩人アレクサンドル・プーシキンの評伝で、地震をこう描いている。
「その日は蒸し暑かった。午後二時ころ、3歳のサーシャ(プーシキン)は、微風が樹の葉をざわつかせたかと思うと、突然、大理石の彫像がぐらりと傾ぐのをみた」
ちなみに、トゥイニャーノフの「キューフリャ」は、プーシキンの友人でデカブリストであった詩人キュヘリベーケルの感動的な評伝だ。邦訳が出ている(邦題「デカブリスト物語」島田陽訳、白水社)。
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