ヨシフ・ブロツキー氏=Alamy/Legion Media撮影
ヨシフ・ブロツキーは、1940年5月24日に写真家の家庭に生まれ、レニングラード封鎖を経験している。
詩を書きはじめたのは16歳のころで、その詩を読んだ女流詩人アンナ・アフマートワは、彼を励ますとともに、その文学的栄光と困難な生涯を予言した。
ゴミ捨て場で本漁り
ブロツキーはさまざまな職業を転々としながら、独学で英語とポーランド語を学び、古典文学、哲学、宗教、神話など幅広い教養を見につけた。のちに彼は、ゴミ捨て場で本漁りまでしたと回想している。
1964年、「寄食者」として告発、逮捕され、アルハンゲリスク州へ流刑5年の判決を受けた。詩人エフゲニー・エフトゥシェンコなどの抗議もあって、18ヶ月間服役した後に釈放され、65年にレニングラードに戻る。彼の作品の多くは地下出版で広まっていくことになる。
72年国外追放、米国に移住
72年に国外追放処分を受けた際、ブロツキーはブレジネフ書記長に直接書簡を送り、市民権を剥奪しないよう請願したが、無視された。
ブロツキーは、ウィーン、ヴェネツィアを経由して、アメリカに移住し、ミシガン大学で教鞭を執り、その後、コロンビア大学、イギリスのケンブリッジ大学などに客員教授として招聘されている。
普遍的な人間
ブロツキーの詩は、世界文学の深い教養にささえられており、人間の生と死などの普遍的テーマを扱っている。一例を挙げておこう。
母がキリストに言う
「お前は私の息子か、それとも
私の神か? 十字架に磔になったお前を置いて
どうして家に帰れようか?」
お前は私の息子か神か
つまり、死んでいるのか生きているのか
理解せずに、答えを出さずに
どうして家の敷居をまたげよう
彼は答えて言う
「死んでいようと、生きていようと
女よ、違いはないのだ
息子であろうと神であろうと、私はお前のもの」
「静物」(沼野充義訳)
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