一帯が戦勝メモリアル

 =セルゲイ・マモントフ/タス通信撮影

 =セルゲイ・マモントフ/タス通信撮影

モスクワ州西部のモジャイスク市からボロジノの平原まで、街道が通っている。スモレンスク街道、すなわち、1812年にロシア軍が後退し、それから攻勢に転じた、あの道だ。

現在、伝説のボロジノ村の近くでは、クレーンが盛んに作業し、新たな展示センターの建設が進んでいる。ボロジノの会戦25周年に建てられ20世紀に失われてしまった皇帝ニコライ1世のための野営用宮殿もその一つだ。

また、宮殿の周辺では発掘が行われており、その結果は、予想通りではあったが、やはり衝撃的だった。
 
 

大規模な発掘作業

ボロジノの発掘は公式に「保護」される。これはつまり、今後の建設と、その結果としての文化遺産の喪失の可能性に対して先手を打つものだ。

今回の大規模な発掘のおかげで、決して明るみに出なかったようなことも分かった。

注目された発見は「キリストとシーザー」の時代に属するものだ。ここに鉄器時代初期の集落があったことが判明した。住居、かまど、陶器、矢じりなどが見つかっている。

「ボロジノの平原は、その全体が1830年代に戦勝メモリアルとなったのです。これはヨーロッパ最初のケースです」。考古学者イーゴリ・コンドラチェフ氏はこう語り、次のように続けた。

共同墓地の可能性

「この種のメモリアルでは、景観のほかに戦死者の墓がなければなりません。しかし、ここには記念碑は数多く建てられましたが、兵士の埋葬場所は未だに見つかっていません。我々は、2軒の焼失した家の地下に、そうした共同墓地を見つけました。最初の考古学的発見です」。

コンドラチェフ氏によると、どの辺りを探せばよいか見当はついていて、そういう場所は土地が陥没して草木が生い茂っている。陥没した所に樹齢100年以上の菩提樹が生えていれば1812年の共同墓地である可能性が高いという。

「これらの名もなき英雄たちが、200年にわたって忘れ去られていたことは奇妙です。共同墓地は臨時のものとされ、皇帝は、『別に指令があるまで』、遺骨を収集するように命じていたからです」。コンドラチェフ氏はこう締めくくった。

独ソ戦の舞台にも

地表近くで、もう一つの戦争、独ソ戦に際して、1941年に掘られた塹壕と地中の小屋が見つかった。

ドイツ軍の退却後も、その中に人々が住んでいた。2人の無名戦士の遺骨も見つかった。彼の「墓」には、爆弾の破片以外に、青銅器時代の矢じりが見つかった。数千年を隔てた歴史のページの奇妙な混交だ。