画家ダリのミューズだったガラの誕生日

=AP撮影

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1894年の今日、ガラ・ダリ(1894~1982)が生まれた。画家サルバドール・ダリの妻にしてミューズだ。彼女はカザン市(現タタルスタン共和国の首都)の生まれで、本名はエレーナ・ディヤコノワという。

モスクワのギムナジウムでツヴェターエワと同窓 

彼女は、モスクワのギムナジウムで学び、女流詩人マリーナ・ツヴェターエワと同窓だった。

エレーナは、1912年に結核の療養のため、スイスのサナトリウムに行き、そこで、フランスの詩人ポール・エリュアールと恋に落ちる。詩人の父は、裕福な不動産業者で、息子をサナトリウムに送り、治療しようとした――結核と詩から。

二人は恋に落ち、ポールはエレーナをGala(祭典)と呼んだ(Galaの起源については別の説もある)。

第一次大戦後、戦争から帰ってきたポールは、詩人アンドレ・ブルトン、ドイツの画家マックス・エルンストらとともにダダイズムのグループを結成する。

ガラは、エルンストと恋仲になり、しばらく三角関係がつづいたあげく、エルンストはガラのもとから去るが、ガラとポールの夫婦仲も冷えていた。

妻にして母、ミューズにしてマネージャー、そして支配者 

そんなとき、夫妻は、画家ルネ・マグリット夫妻らとともに、ダリに招かれて、彼の故郷カタルーニャの海岸に休暇にやって来た。

この運命の出会いののち、ダリとガラは1934年に結婚した。ガラはダリの妻にして母、ミューズにしてマネージャー、そして支配者となった。

ダリはガラをモデルにした作品を多数描いており、彼女を聖母に見立てた連作もある。

芸術と愛の微妙な関係 

ミューズと画家としての関係は理想的で、ダリの才能を開花させる原動力のひとつになったが、夫婦関係は、ダリの恋愛やガラの惚れっぽさもあり、すれ違いが多くなっていった。

最晩年のガラは、ダリが1968年にプレゼントした、カタルーニャのプボル城に閉じこもり、孤独のうちに過ごすようになった。夫のダリも、手紙で許可をもらわないと訪れることはできなかった。

1982年6月10日、彼女は死去し、この城の地下納骨堂に葬られた。

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