=AP撮影
モスクワのギムナジウムでツヴェターエワと同窓
彼女は、モスクワのギムナジウムで学び、女流詩人マリーナ・ツヴェターエワと同窓だった。
エレーナは、1912年に結核の療養のため、スイスのサナトリウムに行き、そこで、フランスの詩人ポール・エリュアールと恋に落ちる。詩人の父は、裕福な不動産業者で、息子をサナトリウムに送り、治療しようとした――結核と詩から。
二人は恋に落ち、ポールはエレーナをGala(祭典)と呼んだ(Galaの起源については別の説もある)。
第一次大戦後、戦争から帰ってきたポールは、詩人アンドレ・ブルトン、ドイツの画家マックス・エルンストらとともにダダイズムのグループを結成する。
ガラは、エルンストと恋仲になり、しばらく三角関係がつづいたあげく、エルンストはガラのもとから去るが、ガラとポールの夫婦仲も冷えていた。
妻にして母、ミューズにしてマネージャー、そして支配者
そんなとき、夫妻は、画家ルネ・マグリット夫妻らとともに、ダリに招かれて、彼の故郷カタルーニャの海岸に休暇にやって来た。
この運命の出会いののち、ダリとガラは1934年に結婚した。ガラはダリの妻にして母、ミューズにしてマネージャー、そして支配者となった。
ダリはガラをモデルにした作品を多数描いており、彼女を聖母に見立てた連作もある。
芸術と愛の微妙な関係
ミューズと画家としての関係は理想的で、ダリの才能を開花させる原動力のひとつになったが、夫婦関係は、ダリの恋愛やガラの惚れっぽさもあり、すれ違いが多くなっていった。
最晩年のガラは、ダリが1968年にプレゼントした、カタルーニャのプボル城に閉じこもり、孤独のうちに過ごすようになった。夫のダリも、手紙で許可をもらわないと訪れることはできなかった。
1982年6月10日、彼女は死去し、この城の地下納骨堂に葬られた。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。