第1回全ソ連邦スパルタキアードが開幕

写真提供:sportkadr.ru

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1928年の今日、モスクワで第1回全ソ連邦スパルタキアード(国体)が開幕した。

 スパルタキアードの名は、共和制ローマの剣闘士スパルタクスに因む。彼は、名高い奴隷反乱、「スパルタクスの反乱」の首謀者である。

初めは、共産主義シンパの、ドイツのスポーツクラブによって開催された競技会が、スパルタキアードと呼ばれたが、それが1920年代には、ソ連にも広まった。

五輪の代わりとして 

 当時、ソ連はオリンピックに参加していなかったので、スパルタキアードは、これに代わりうるものとして考えられ、ソ連赤軍、諸民族、労働協同組合などの各スパルタキアードが開催されることになった。

因みに、ソ連が五輪に参加しなかった理由は、最初はIOC(国際オリンピック委員会)によりソ連がボイコットされたためだったが、後には、イデオロギー上の対立から、ソ連自らが自発的に参加を拒否した。

アムステルダム大会閉幕の日にあわせて開幕 

こうして1928年に、全ソ連邦スパルタキアードが生まれることになった。8月13日は、第9回オリンピック・アムステルダム大会が閉幕した日だが、まさにその日に、モスクワの赤の広場で、25000人のスポーツ選手の参加した華麗なパレードで、スパルタキアードが開幕した。選手のなかには、オーストリア、ハンガリー、ドイツ、ノルウェーなど、612人の外国人スポーツ選手が含まれていた。

スポーツ王国ソ連の里程標 

 スパルタキアード開催は、第一次5ヵ年計画に組み込まれていた。その目的は、ソ連時代の体育・スポーツの成果を確認することだ。13日間にわたり、21種目の競技が首都のスタジアム、競技場で繰り広げられた。

 全ソ連邦スパルタキアードは、ソ連の体育・スポーツの歴史における重要な里程標であり、その後の発展に巨大な影響を及ぼした。諸都市でのリレーは、すべての連邦共和国で非常な人気を博し、今日にいたるまで行われている。

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