ルースキー島(向こう側)とウラジオストク市内をつなぐ連絡橋 =AFP/EastNews撮影
ウラジオストクの60万人の住民にとって、今年は特別な年である。世界21カ国・地域の指導者たちとメディアがやって来るからだ。
閉鎖都市から変貌
市民の関心は完成が近づく多数のインフラ整備プロジェクトと、かつて海軍基地として外国人の立ち入りが禁じられていた都市の観光による繁栄への期待である。
ウラジオストクでのAPECサミット開催に伴う建設目的で連邦政府から投入される資金は元々の予算の数倍にもなる6793億ルーブル(約17億円)に膨れ上がった。
建設ラッシュの中でも特に注目されるのは2つの巨大な斜張橋だ。
一つはウラジオストク市内から金角湾を経由してチュルキンの住宅街をつなぐもの。もう一つは市のナジモフ岬を、APECの会場となるルースキー島と結ぶ橋だ。「ルースキー島連絡橋」と呼ばれるこの橋は、6月下旬に建設が完了、世界一長い斜張橋となった。
現在、2つの橋は連結されているが、一般にはまだ開放されてはいない。連絡橋の開通式は7月2日に行われたものの、雨による損傷で式典が遅れた。
メドベージェフ首相はウラジオストクに向かう機中で「私はウラジオストクの変貌ぶりが大規模なものであると客観的に言明できる」と語った。
そのほとんどは連絡橋建設に割り当てられるほか、会場となるルースキー島での会議場やホテルなどの建設に使われている。
政府はAPECサミット終了後のルースキー島の人口が、現在の5000人から15万人に膨れ上がると見込んでいる。
それを可能にするのが連絡橋だ。これまでこの島に到達できる唯一の交通手段はフェリーで、40分を要する上に、悪天候により運行が見合わせとなることが頻繁にあった。
環境破壊の危惧
予想される人口増加要因の一つは学生にある。4つの地方大学を統合してこの地にできた極東連邦大学の新しいキャンパスである。しかし、この島の住民はあまり喜んでいない。住民の多くは、市内の騒々しさから逃れるためにこの島に住むことを選んだ人たちだ。彼らは、新住民が島の手つかずの自然環境に損害を与えるであろうと主張する。
「私たちは橋の建設が少しずつ島に近づいてくるのを見てきました。それは私たちにとって、巨大な蛇が大きく口を開けながら私たちに向かってくるような感じでした」と、陸軍曹長のコンスタンチン氏(28)は語る。
一方では、APECのための美化プログラムがインフラ荒廃という問題の解決策になっていないという批判を浴びている。
ポチョムキン村
海外メディアでは、ウラジオストク市の状況を表現するのに「ポチョムキン村」という言葉が使われている。
今年、ウラジオストク市は創立152年の記念日を迎えた。記念行事最後の日の7月2日、市の中心部にあるアルバート通りは観光客であふれた。ワンピースを着た若い女の子たちが、最近完成したばかりの噴水の前でポーズをとっていた。夜10時になると、堤防沿いの大通りで花火が打ち上げられ、黄昏の空を鮮やかに彩った。
これは、皇帝エカテリーナ2世が1787年にクリミアに行幸した際、皇帝が出した建設費が有効に使われていると思いこませるためにポチョムキン公が作ったと伝えられる偽物の村の伝説を指す。
この批判には真実が含まれている。 市の水道供給が夏の間、何週間にもわたって止まることなどは珍しくない。郊外の道路では巨大な穴ぼこが多数あるので、日本製の四輪駆動車が必需品になっている。しかし、全体的には地元住民は、湯水のごとくに費やされた資金やプロジェクトに対して、満足しているようだ。
「APECがすべての問題を解決してくれるなどとは期待していません。期待できるのは、美化プロジェクトが多くの観光客を呼び寄せてくれるということです」と、地元のジャーナリスト、ゼブゼイェワさん(24)は説明する。
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