凱旋広場、1920年代=写真提供:ウィキペディア
1829年の今日、モスクワで祖国戦争(ナポレオンのロシア遠征)での勝利を記念して、凱旋門の建設が、現在のベラルースカヤ駅前広場で始まった。
アーチの部分の装飾は、オシップ・ボベーの絵にもとづき、彫刻家イワン・ビタリとイワン・チモフェーエフが担当し、門の部分には、ロシアの勝利と栄光のシンボルとして古代ロシアの勇士たちが描かれた。壁面には、モスクワ近郊のタタロボ村から運ばれた白い石が貼られ、柱と彫像は鋳鉄製だ。完成したのは1834年。
それから約1世紀後の1936年に、1935年に作成されたモスクワ市改造計画にしたがい、凱旋門がある現ベラルースカヤ駅前広場も再開発されることになり、凱旋門は解体され、彫像の一部は博物館に送られた。
しかし、1966~1968年に、凱旋門は、別の場所で―クトゥーゾフ通りの「ボロジノの会戦のパノラマ館」のとなりに再建された。
ちなみに、帝政時代には、ピョートル大帝治下の1721年以来、凱旋広場(旧マヤコフスキー広場)に、事あるごとに凱旋門が建てられてきたが、これらと今述べた凱旋門を混同しないようにご注意を。上の凱旋門が建てられてからは、凱旋広場は、「旧凱旋門広場」と呼ばれるようになった。
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