ロシアのフェミニズム

戦後、ソ連の女性たちは、生産現場でも采配を振るうことになった。(1956年、モスクワ州)=タス通信撮影

戦後、ソ連の女性たちは、生産現場でも采配を振るうことになった。(1956年、モスクワ州)=タス通信撮影

 先日、旧友であるソ連育ちのイスラエル人が、フェイスブックでこんなことを書いてよこした。

 「ロシアの女性は、夫というものはたとえ酒や麻薬に溺れたり暴力を振るったりしても、結婚したからには終生背負わねばならない十字架だ、と信じ込んでいるね」。

 

変わらぬ理想像

 「疾駆する馬を止め、燃える家に飛び込む」。詩人ニコライ・ネクラーソフは、強くて献身的な、理想のロシア女性をそう表現した。

 この喩えは今も、家庭のしきたりを頑なに守る女性を称賛したり、「昔からの女性の義務」を忘れた女性を叱責したりする際に引き合いに出される。

 こうした規範を最初にぐらつかせたのは第一次世界大戦で、多くの男性が死亡したので、女性は働くために家庭を離れた。

 その次は共産主義者たちが男女同権を宣言した1917年のロシア革命で、肩幅広く筋骨たくましい女性が理想となり、こうした女性は燃える家に飛び込むばかりでなく、射撃の選手にもなれた。

 しかし、男性と対等に働くようになっても、女性は男性の配下に置かれ、給料も男性より少なく、家事や育児は当然の役目だった。

 家庭のしきたりを根底から揺るがせたのは、工場や鉄道や水力発電所などの「世紀の建設」だった。そこでは男女が事実上バラックに雑居し、自由恋愛が盛んになった。しかし、依然としてそれは不品行とされていた。

 第二次世界大戦はさらに多くの男性の命を奪い、女性は家事や育児をこなしながら、アスファルトや枕木も敷かなくてはならなくなった。生産現場で女性が采配を振るうケースがますます増えたが、「家庭の守り手」のイメージは依然根強かった。

 

女性解放のパラドックス 

 ソ連崩壊および経済危機に伴って多くのロシアの男性が仕事を失い、物価は高騰、給料は減額され、女性は「あんたはもう稼ぎ手じゃない」と夫に告げる資格を得た。離婚の波が湧き起こった。

 21世紀初めのロシアでは、男性同士の競争は高い給料をめぐるレースで、女性同士の競争は高い給料の夫をめぐるバトルだった。

 ところが、不思議な変容が起こる。ロシアの女性は「理想の夫」を手に入れるや「遺伝子の記憶」のスイッチを入れるのだ。

 ロシアにおける女性解放のパラドックスはここにある。そもそも「解放(エマンシペーション)」は「父権からの解放」を意味している。けれども、ロシアの女性は、自由を欲するより、安寧と安全を望むのだ。誰か大きくて強い者が自分を躾(しつけ)けてくれ、自分に対して責任を負ってくれることを。

 今日のロシア人は、どのような社会に生きるべきか決めることができない。男性は勤めと家庭の間を右往左往し、女性は、「同権」のステータスを欲せず、「ただ愛される女性でありたい」と口にする。

 数多の戦争と喪失をくぐり抜けて、ロシアの女性は、欧米のフェミニストたちとは異なり、「同権」のステータスには落とし穴があることを、そして、その最も怖ろしいものが孤独であるかもしれないことを、あまりにもよくわきまえている。

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