=リカルド・マルキナ・マンタニアナ撮影
モスクワ市のショッピング・モール「オホトヌイ・リャド」のショーウィンドウのそばに、スターリンとレーニンにそっくりな俳優と一緒に撮影できる有料の写真サービスがある。ソ連映画でつくられた、高圧的でありながら優しいスターリンの人物像を真似た偽スターリンは、「みんな僕と撮りたがるよ」と自慢する。この撮影サービスを利用する客層としてもっとも多いのは、地方から来るロシア人だ。
社会学者の統計によれば、スターリンを肯定的に受け止めているロシア人は、10年で30%にまで低下した。このような指導者のもとで生活したいと考えているロシア人は、わずか3%にとどまった。世論はスターリン主義者と反スターリン主義者にわかれるが、スターリンに対してぶれない感情を抱く人は少ないという見方がある。世論調査によれば、国民一人ひとりの心の中にふたつの感情が存在する。
「レヴァダ・ツェントル」のデータを見ると、60%のロシア人の意識の中には、数百万人を粛清した冷酷な暴君、そしてソ連を繁栄に導いた賢い指導者という、二種類の相容れないスターリン像がある。ロシア社会にはスターリンの役割について、合理的な解釈が存在しない。「レヴァダ・ツェントル」のボリス・ドゥビン所長も同じ意見だ。スターリンについて特定の評価をしようとすれば、議論が巻き起こる。スターリン政権時代のソ連の繁栄を強調することは、犯罪に対する言い訳に聞こえ、犯罪を強調することは、昔を誇りに思いたいロシア人の自己同一性を破壊してしまう。
このようなスターリンに対する両面感情は、現政権にも見られる。ウラジーミル・プーチン首相は、2009年の国民向けの演説の中で、ソ連がスターリン政権時代に工業国になったこと、そしてそれは多大な犠牲の下に達成されたことを述べた。
社会学者たちは今日、スターリンの人気について説明する際、歴史上の具体的な人物ではなく、ソ連国民の英雄的シンボルとなっている「スターリン・ワールド」現象の話をする。ここでのスターリン像とは、大祖国戦争の勝者で、その背景には強大な工業国家としてのロシアがある。
こうした神話は、1960年代から1970年代、ブレジネフ政権下でつくられたものだ。スターリンの犯罪に対する非難が、国の支配システムとしてのスターリン主義の欠点を追求するまでにいたらなかったためである。伯父が射殺され、父が強制収容所に送られたという経験を持つ78歳のボリス・ドロズドフさんは、当時の評価の違いについてこう語る。「抑圧が及ばなかった人々はスターリンを天才だと考え、抑圧の被害を受けた人々はスターリンを悪人と考えた」。このような解釈の違いが、現在でも残っているようだ。
社会学者によれば、ソ連時代に対する国民の意識は、2000年代に入って和らいだという。「全体主義政権の抑圧的な性質が記憶から消されたためだ」とドゥビン氏は説明する。「粛清の時代は記憶の片隅に追いやられた。単に銅像、記念碑、博物館がなくなったからだ」と同じ考えを述べたのは、政治犯罪被害者の名誉回復に取り組む歴史協会「メモリアル」のアルセーニー・ロギンスキー会長だ。
「レヴァダ・ツェントル」によれば、ここ10年の主要な傾向として、スターリンやその活動について無関心なロシア人が増え続けている。2001年から2012年にかけて、無関心な人の割合は12%から47%にまで伸びた。同機関のレフ・グトコフ氏はこう結論付ける。「これは無関心なのではなく、スターリンの実像を暴くことを拒んでいるのだ」。
2011年、メドベージェフ政権下でスターリン犯罪問題を提起しようという新たな試みが始められた。この活動を主導する人権問題担当大統領会議のミハイル・フェドートフ議長は、「この活動の本質は、非スターリン化にあるのではなく、抑圧政治の被害者に対する追悼を後世まで行うことにある」と説明した。大統領会議は、残っている古文書をすべて調査し、抑圧の被害者を追悼する記念公園を開設することなどを提案している。共産党はこの活動に対して反発した。フェドートフ議長は、今後の見通しは不明だと言う。「プーチン次期大統領が、これより重要な課題が存在すると言う可能性も十分ある」。ロシア社会が、遅かれ早かれこの問題についての議論を始めなければならなくなることは明白だ。「最も大切な精神的価値に対する国民の総意なしには、まともな社会の発展はあり得ない。全体主義体制とは、政権があらゆる目的を達成するために国民を利用するものであるため、それは悪であるということを断言しておかなければならない」とフェドートフ議長は述べた。
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