お正月をもう一度

旧正月の料理=ロシア通信/セルゲイ・ピャタコフ撮影

旧正月の料理=ロシア通信/セルゲイ・ピャタコフ撮影

ロシアの人々は祝日が大好きだ。2005年以降、新年休暇も10日間に延長された。しかし、歴史を知らなければ、ロシア人自身にさえ理解しがたい祝日もある。それが「旧正月」だ。

旧暦の正月

 子供の頃、この祝日の名称にずっと悩まされていた。なぜ、正月が「旧い(ふるい)」などということがありうるのだろう。だが、この謎解きは実はとても簡単だった。祝日の名称を正しく完全に言えば、「旧暦の正月」ということなのだ。

 「旧暦」とは、紀元前45年1月1日からユリウス・カエサルによって導入された「ユリウス暦」をさす。この暦の最大の問題点は、不正確さにある。例えば、128年ごとに余計な日が1日ずつ生じる。そのため、最初は冬至に祝われていた降誕祭(クリスマス)が、徐々に春の方にずれていった。この問題は長期にわたって審議され、1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世の決定により、カトリックの国々はより正確な「グレゴリオ暦」を採用することとなった。

 プロテスタントの国々も、2世紀間にわたって少しずつ旧暦を放棄していった。グレゴリオ暦を最後に採用したのはイギリスで、1752年であった。スイスは1700年から1740年にかけて、ゆるやかにグレゴリオ暦に移行していった。一方、ロシアでグレゴリオ暦が採用されたのは革命後で、1918年1月26日、人民委員会議の法令にレーニンが署名する形で導入されている。

 ヨーロッパが全面的に新暦に移行していった頃、ロシアでは新年の訪れを祝う伝統が生まれたばかりだった。1700年、ピョートル一世が「無病息災と家族の幸福を願い、よき始まりと喜びのしるしに、互いに新年を祝い合うこと。新年を祝してヨールカ(クリスマス・ツリーの形をした新年飾り-編集部注)を飾り、雪山でそり遊びをし、子供らを楽しませること。大人たちは深酒や殴り合いをしないこと。そうした蛮行は他の日で既に十分すぎるぐらいである」との勅令を下している。

ワシリーの夜

 多くのロシア正教徒にとって、「旧正月」は特別の意味を持つ。信者らが心から新年を祝えるのは、降誕祭(クリスマス)前の斎戒(ものいみ)期が終ってからだ。ロシア正教の降誕日は1月7日なので、本来、信者は大晦日から元旦にかけて行われる宴に参加すべきではないのだ。

 ロシアの民俗的伝統では、新年の儀式は「ワシリーの夜」と呼ばれる「聖ワシリーの日(新暦の1月13日-編集部注)」に合わせて行われる。「ワシリーの夜」の特別料理は、大地の豊穣と家畜の多産を象徴する子豚料理。そして、ピローグ、ソーセージ、肉、ブリン、粥など、その家にある最良のものご馳走を食べ、ビールやワイン、ウオッカなどを飲む。

 新年を迎える夜はとかく不節制に陥りがちだ。それは「新年最初の日の豊富な食べ物は、一年全体の豊富を約束する」という迷信にも起因している。この信仰は、食べ物だけでなく、生活の他の分野にもおよび、人びとは自分が持っている最高の晴れ着や飾りを身につける。新年の前には、割れた食器をすべて家から投げ捨て、窓や鏡を磨き上げるのがよいとされた。「新年の迎え方次第で、その年の過ごし方が決まる」ということわざもある。

 かくして、1月13日から14日(旧暦の12月31日から1月1日)にかけての夜は、ロシアの人々にとって、祝日を「心ゆくまで祝う」ことを自分に許すことができる時なのである。その上、心理学者たちは、長期間に及ぶ連休の後はきっぱりとお祭りムードを絶ち、即座に通常の仕事に戻るべきだ、と主張している。となると、「旧正月」は、祝日の期間をさらに引き伸ばすための、格好の口実といえるのではなかろうか。