前月にカルムイク共和国のエリスタの首都で、第一の「仏陀へ光の贈り物」という仏教の儀式が行われた=Getty Images/Fotobank撮影
受難と貧困に耐える心の支え
2千人以上の仏教徒が黄金の仏像の前で跪き、マントラを唱えている。カルムイク共和国の首都エリスタに1996年に開かれたチベット仏教寺院シャキュスン・シュメ。
夜になると数千の灯明が点され、僧侶たちが信徒を祝福した後、灯明をとりつけた熱気球が宙に放たれ、暗い夜空を明々と照らし出した。
このような熱気球祭りがロシアに紹介されたのはこれが初めてのことで、9月に当地で開かれた国際フォーラム「仏教・非暴力と慈悲の哲学」の開会の儀式として行われた。
ロシア全土からの信徒に加え、チベット亡命政府の拠点から僧 30 人、タイ、米国、そしてロシアのトゥバ、ブリヤート両共和国からも僧が来訪、カルムイクの仏教復活を祝福した。
カルムイク共和国の首都エリスタにある仏教寺院を訪れたチベット人僧侶たち。勤行の合間のひと時に談笑する = アンナ・ネムツォワ撮影
1741年
ロシア帝国内に仏教徒が存在していることが公式に認められた。
140万人
現在のロシア連邦における仏教徒の総数。
1979年
この年、ダライ・ラマが初めてロシアを訪問した。
「私たちはもっとひどい目に遭ってきましたから」とエブドキア・クツァエワさん( 84)はため息をつく。「1943年 12 月の厳寒のさなか、スターリンに民族ま るごと汚い貨車に詰め込まれて、シベリアへ強制移住させられたのです。
何千、何万という人が途中で亡くなりました。大量の死体がプラットホームに横たわっていたのを覚えています」と回想する彼女の目には涙が浮かぶ。
対独協力を理由にチェチェン人と共に科された残酷な措置は、1957年のスターリン批判まで続いた。
人口は約 30 万人。その約半分がカルムイク人で、モンゴルの有力部族オイラト人の末裔とされる。トゥバ、ブリヤート両共和国とその周辺などとともに、伝統的にチベット仏教を信奉してきた。レーニンの父方の祖母はカルムイク人との説がある。
「ヨーロッパ唯一の仏教国」と称する人も少なくないカルムイク共和国だが、イングーシ共和国に次いでロシアで2番目に貧しい自治体だ。今年3月に訪れたメドベ ージェフ大統領も「難しい状況だなあ」とうなるだけだった。失業率 15 %はロシア全体の平均の2倍である。国土の大半はステップ、湿地など農業に向かない土壌だ。カスピ海沿岸に位置するのに、石油関係で恩恵をこうむることもあまりなかった。
アンナ・ネムツォワ撮影
前カルムイク共和国大統領、キルサン・イリュムジーノフ氏(49)
モスクワ国際関係大学で日本学を学び、日ソ合弁企業の専務などを経て、大富豪の一人に数えられる。1993年共和国大統領に選出された。 2004年にはダライ・ラマのカルムイク訪問を実現。
カルムイクの貧しさの責任の一端は連邦政府にあると言う。「大統領在任の17年間に、学校、病院、寺院を建てたり、建て直すのにポケットマネー3億ドルを使わねばならなかった」という。一方では汚職や独裁的統治手法に対する批判もあった。1995年から国際チェス連盟(FIDE)会長。
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