皇帝のショッピング:サンクトペテルブルクで最も美しい店

観光・自然
ユリア・ハキモワ
 かつてのロシアの首都では本物の宮殿でショッピングを楽しめる。このような建物は 1 世紀以上にわたってその目的で使われている。

1.「パッサージュ」

住所:ネフスキー通り48番

 東ヨーロッパで最も古いデパートの 1 つは19 世紀半ばに当時のロシアの首都の目抜き通り、ネフスキー大通りに建てられた。建築家はルドルフ・ジェリャゼヴィッチ。

 建物はガラス張りの屋根で覆われた180メートルのギャラリー。「パサージュ」には店舗以外に長年にわたりフランスの銀行、ホテル、解剖学博物館、機械仕掛けの劇場、蝋人形の部屋、キャバレー、ジオラマ、コンサートホールなどがあった。1942 年からこのホールにはV.F.コミサルジェフスカヤ名称ドラマ劇場がある。

 かつては建物内にミニ動物園も設置され、大きな浴槽に本物のワニが横たわっていた。この突飛な展示に感銘を受けたフョードル・ドストエフスキーは、ワニが役人を飲み込んだという話の風刺小説「鰐」を書いた。

 ソ連時代にはここで国営百貨店が営業していた。

 現在、パサージュでは歴史的な内装や看板が再現されている。ここでは、婦人服、宝飾品、化粧品、小物のほか、花や家庭用品を購入できる。地下の階には食料品店がある。

2.「シンガーハウス」

住所:ネフスキー通り28番

 この建物はミシンを製造していたアメリカの会社「シンガー・アンド・カンパニー」にちなんで名付けらた。そして現在この建物には市内で最も有名な書店が入っている。

 米国人であるこの建物を注文した客はこの場所に、米国で建設されたものと同様の 8 階建て (他の情報源によると 11 階建て) のオフィスを建設したいと考えていた。しかし、計画は高さ規制によって頓挫した。

 この建築物の作者は建築家のパーベル・シュゾールで、1904 年に彼はアトリウム、屋根裏部屋、角のあるガラスドームのついた6 階建ての家を建てた。建設には最先端の技術が使われた。建物は鉄骨を採用し、排水管は壁の中に隠され、室内には浄化・加温・加湿された空気が供給され、屋根は蒸気で自動的に除雪されるようになっていた。

 1919 年に国立出版社「RSFSR」のサンクトペテルブルク支社と販売店が開設され、「シンガーハウス」に書籍が定着した。

 「シンガーハウス」の書籍販売の伝統は今日まで残っている。また、2階の一部はレストランになっている。上階にはSNSの「VKontakte」の本社がある。

3.「赤い橋の側のデパート」 (Au Pont Rouge)

住所:モイカ川河岸通り73番

 アールヌーボー様式のエレガントな 5 階建ての建物は貿易の守護神であるマーキュリーの杖が冠されており、ベルギー・オーストリアの起業家ステファン・エスダースの注文で1907年に建てられた。

 この建物はサンクトペテルブルクの建築家、コンスタンチン・ド・ロシュフォールとウラジーミル・リプスキーによって設計された。このデパートはサンクトペテルブルク初の数階建ての店となった。店の顧客の中には皇族も含まれていた。

 当初ここでは衣服、靴、レース、毛皮、小物が販売されていた。建物では縫製工場も運営されていた。革命後、ここはV. ヴォロダルスキー名称縫製会社に取って代わられた。

 21世紀に入り、建物に大規模な改修が行われ、ファサード、看板、ステンドグラスなどの歴史的な外観が復元された。現在「Au Pont Rouge」 は高級ブランドの衣料品店となっている。

4.「DLT」(レニングラード百貨店)

住所:ボリシャヤ・コニューシェンナヤ通り21-23番

 「赤い橋の側のデパート」に似た、尖塔のあるアール ヌーボー様式の大きな 5 階建ての建物は、エルネスト・ヴィリッヒの設計に従って衛兵経済協会の委託により1909年に建てられた。

 当初、それは作業場を備えた首都の将校のための高級軍備用品店だった。しかし、一般の人々もこの優雅な店を訪れるのを楽しんでいた。最初に内装に注目し、その後、所有者たちはこの企業が利益を上げていることに気づき、民間品もそこで販売し始めた。

 革命中の 1917 年に店舗は略奪され、1918 年に建物は国有化され、その中に流通拠点が開設された。1927年、レニングラード消費者団体連合のレニングラード協力会館という愚にもつかぬ名称の組織がそこで活動を開始した。この建物には小売店に加えて、清涼飲料水や玩具の製造会社、パン屋も入っていた。勤労労働者には優先購買の権利が与えられ、2年後には商品が配給票で販売され始めた。店舗の作業場は衣類縫製協同組合が占めていた。

 後にこの店は「レニングラード百貨店」として知られるようになった。1965 年以降、市内最大のソ連製および外国製の子供用品店がここで営業している。ここでは学校バザーや新年のマーケットも開催された。

 21世紀になってDLTが復活した。現在、この店は「Au Pont Rouge」と同じように高級品店である。

5.  エリセーエフ商店

住所:ネフスキー通り56番

 大きな窓とファサードに彫刻があるエリセーエフ兄弟商会の建物は、ガブリエル・バラノフスキーの設計によって1903 年に建てられた。これは「商人様式」と呼ばれた初期アールヌーボーの顕著な例であり、首都の中心部に多くあった商店の建物に典型的なものだった。

 ステンドグラスと塑像で装飾された豪華な店舗に加えて、この建物にはレストラン、露中銀行、質屋、会計コース、アパート、そして 1929 年以降はN.P. アキモワ名称コメディ劇場が使用しているコンサートホールが入居していた。。

 1917 年から 1991 年にかけて、エリセーエフ商店はガストロノーム No. 1「セントラル」に変わった。この店はソ連時代も高級店としての地位を保っており、希少な商品もここで買うことができた。

 大祖国戦争勃発直後の 1941 年 6 月 24 日、祖国防衛を訴えるレニングラード初のプロパガンダポスター「タスの窓」がエリセーエフ商店の窓に貼られた。

 店の歴史的な名称は1993 年に元に戻され、21世紀に入ってから建物は修復された。現在は食料品店、エクスカーションで見学できるエリセーエフ商人の歴史博物館、レストラン、劇場が入っている。

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