グム、1893年。
共有 擬ロシア様式の外観、ネオクラシカル様式の内部、印象深い鋼鉄の天井を持つこの建物は、伝説的な設計技師ウラジーミル・シューホフによって設計された。1893年にロシア初のパッサージュとして建設され、開店当時よりモスクワでもっともおしゃれな場所となった。
ウラジーミル・レーニンはここに後にソ連のシンボルとなる国営百貨店(あるいは単にグム)を作ると決定した。それ以来、何度も省庁の建物になりそうになったり、スターリンに取り壊されそうになったりしたが、百貨店は持ち堪え、今でもモスクワ市民に愛される場所の一つとなっている。
現代のグム。
Legion Media 現在、百貨店はまさになんでもある場所となっている。食料品(ソ連のガストロノムN1を模した仕様になっている)、洋服、電化製品など商品は幅広く、またカフェや映画館も入っている。
ここに来たら、入り口近くのキオスクで売っているグムでしか買えないアイスクリームを買うのをお忘れなく。すべてのロシア人にとって懐かしい子供時代の味である。
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改修工事前のインテリア。
A.Savin撮影/Wikipedia 1950年代、ルビャンカ広場に子どもにとって本物の天国であるデパート「子どもの世界」が建てられた。ソ連国内において、あらゆる年齢の子どものものがなんでも買える唯一の場所であった。ソ連の子どもたちはこのデパートに行くのをいつも夢見ていた。なぜなら中央のホールに巨大なメリーゴーラウンドと巨大な機械仕掛けの人形があったからだ。
時代とともに、デパートはより幅広い商品を扱うショッピングセンターとなり、大人が買えるプレゼントや洋服、文房具なども売られるようになった。
「ジェツキー・ミール」の改修工事後のアトリウム。
A.Savin撮影/Wikipedia2008年から2015年にかけて、デパートは改修工事のため閉鎖された。建物の外装が少しリフォームされただけであったが、内部は大々的に改装された。とりわけ、ソ連時代に作られた銅製の電灯やシャンデリアも取り外され、そして大切にされてきたメリーゴーラウンドも撤去された。
「ジェツキー・ミール」の展望台から見た風景。
エカテリナ・チェスノコワ撮影/Sputnik 現在はありふれたモールのような場所になったが、しかし売られているのは子どものためのものだけである。ここで見ておくべきは、屋上に作られた展望台。ここから素晴らしいモスクワの景色を楽しむことができる。
1931年のツム。着色化されたツムの白黒写真。
Branson DeCou撮影/Wikipedia クズネツキーモスト通りは歴史的にモスクワの主要な商業地域の一つであった。そこで1885年にスコットランドの企業家らが、ここに自分たちの名にちなんで店名をつけた「ミュールとメリリス」という商店をオープンした。最初の建物は火災により大きく損傷し、20世紀初頭に建築家ロマン・クレイン(多くの教会や工場などの設計で知られる)が新たに、ネオゴシック様式の7階建ての建物を建てた。
現代のツム。
Branson DeCou撮影/Wikipedia 革命後、商店は国営となり、現在の名称であるツム(中央百貨店)と呼ばれるようになった。1950年代には高級品が扱われるようになったが(すぐ近くに位置し、よりリーズナブルな値段の商品が売られていたグムとは異なっていた)、現在もここには世界のファッションハウスのブティックやコーナーが入っている。
ペトロフスキー・パッサージュ、レリーフ「労働者」。2016 年。
Ludvig14撮影/Wikipedia 大量の観光客がいる場所は好きではないという方は、グムではなく、こちらへどうぞ。赤の広場にあるグムに比べるとその規模ははるかに小さく、2列しかないが、ユニークなネオクラシカル様式の建築とグムと同じシューホフが設計した巨大なガラスの丸屋根を見ることができる。
パッサージュは有名なバーニャ(ロシア式サウナ)、サンドゥノフスキーの所有者であり、商人であったヴェーラ・フィルサノワの依頼により、1906年に建てられた。ここには有名なアプリコソフ一族のお菓子を始め、モスクワの商人たちが出店する店が並んでいた。
ペトロフスキー・パッサージュ
Legion Media ソ連政権の下、建物は国有化された。最初ここには赤軍のための下着の縫製工場が作られ、その次には研究センターができた。第二次世界大戦時代には、住宅を破壊された市民のための共同住宅「コムナルカ」となった。
現在、ペトロフスキー・パッサージュにはラグジュアリーなブランド店やカフェができ、ごく普通のデパートとなっている。
「エリセーエフスキー」、1913年。
Karl Fischer撮影/Wikipedia 現在この店が入っている建物は18世紀末に、有名な企業家の娘で、エカテリーナ2世の秘書の妻であったエカテリーナ・コジツカヤの依頼により建てられた。ちなみにこの建物が立っている角の横丁には彼女の名前がつけられている。
屋敷の設計を行ったのは、モスクワ大学旧館やモスクワ・クレムリンの元老院などモスクワの数十の建物を設計したマトヴェイ・カザコフ。
2021年の「エリセーエフスキー」。
ウラジーミル・アスタプコヴィチ撮影/Sputnik 1901年に百万長者の商人であったグリゴリー・エリセーエフがこの建物を購入し、ここに「エリセーエフ商店・ロシアと外国のワイン蔵」を開店した。エリセーエフはその後、故郷のペテルブルクにアール・ヌーヴォースタイルのインテリアの店を開いている。
ソ連時代にモスクワの商店はガストロノムN1と名を変えたが、市民の間ではいまも「エリセーエフスキー」の名で親しまれている。
*更新:120年の歴史を持つ「エリセーエフスキー」は2021年に、コロナ禍も影響で閉店されることになった。
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