ロシアには赤の広場はいくつあるのか?

ウドムルト共和国イジェフスク市の聖ミカエル大聖堂

ウドムルト共和国イジェフスク市の聖ミカエル大聖堂

Legion Media
 ロシアの小学生なら誰でも、国の主要な広場の名前である「赤の広場」が「美しい広場」という意味であることを知っている。しかし、ロシアには実は他にも「赤の広場」があり、その名前は別の理由によって付けられたものである。

1. モスクワ

 モスクワの主要な広場といえば、ロシアの数々の「赤の広場」の中でももっとも有名なものである。広場では、クレムリンの壁や塔を望み、有名な鐘の音を聴き、レーニン廟を訪れ(ちなみにレーニンは、赤の広場に葬られている唯一の人物ではない)、歴史あるショッピングセンターのグムや聖ワシリー大聖堂を訪れることができる。冬になると、新年の市が立ち、スケートリンクがオープンする。また夏にはさまざまなフェスティヴァルが開かれる。 

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2. ヤロスラヴリ

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 モスクワの赤の広場と異なり、ヤロスラヴリの広場の名前はソ連時代に付けられた。元々、広場はセミョーノフスカヤ広場(かつてここにはシメオン・ストルプニク教会があった)と呼ばれていたが、1924年に、ボリシェヴィキが新たな時代の雰囲気に合うようにと改称した。

 1930年代半ば、撤去された教会の跡地に、党のエリート層のためのアーチ付きの住宅が建設された。しかし、悪い噂が広まった。それは、そこに一度でも住んだことがある者は、粛清されたというものであった。

 広場は小さく、活気ある通りの交差点にある。しかし、広場からはヴォルガ川の岸に向かって、美しい並木道を散歩することができる。

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3. チェボクサルィ

 チュヴァシ共和国(沿ヴォルガ連邦管区)の首都の赤の広場は、チェボクサルィ湾の美しい景色が広がる街の中心部である。100年前、ここには市があり、広場は通行可能であったが、現在は完全に歩行者天国となっている。子どものための小さな公園、屋根付きのブランコ、ベンチ、光と音の噴水がある。

4. ペレスラヴリ・ザレスキー

 古都ペレスラヴリ・ザレスキーはヤロスラヴリ州にあり、中世ルーシの建築物が多く保存されていることで知られる。赤の広場は、中世、ヴェーチェと呼ばれる集会が開かれていた場所である。そこで広場は、市民の間ではヴェーチェヴァヤ広場やソボルナヤ広場などと呼ばれていたが、1928年にガイドブックに「赤の広場」という正式名称が初めて記載された。

 広場は何度も再建されたが、ここにはもっとも長い歴史を持つ12世紀の白石造りのスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂(救世主顕栄大聖堂)が残っている。多くの公がここで洗礼を受けた。 

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5. トボリスク

 シベリアで唯一の石造りのクレムリンはトボリスク(チュメニ州)に保存されている。そしてそのクレムリンは、歴史地区の丘の上に位置する他でもない赤の広場(革命前はソボルナヤ広場)にある。ここには、クレムリンの他に、チュレムヌィ(刑務所の)城がある。ここからはイルティシ川の印象深い景色が広がっている。

6. ヴィボルグ

 レニングラード州にあるヴィボルグは、13世紀に創建されたヨーロッパ最古の街の一つで、かつてはスウェーデンやフィンランドの一部であったこともある。ヴィボルグの赤の広場の歴史的名称は「赤い井戸の広場」で、これはスウェーデンに属していた16世紀に、広場の井戸のそばでスウェーデン王ジグムント3世の支持者らが処刑されたことに端を発する。このことを記憶するため、井戸は赤く塗られた。19世紀の末、広場が再建されたときに、井戸は埋められ、大祖国戦争後は、名前も改称され、広場は「赤の広場」となった。

7. イジェフスク

 ウドムルト共和国(中央ロシア)の首都にあるもっとも美しい場所の一つには、元々別の名前がついていた。イジェフスクの広場は、近くにあったミハイロフスキー大聖堂(聖ミカエル大聖堂)にちなんで、ミハイロフスカヤと呼ばれていたのである。その後、「赤の広場」と改称され、最初の「赤の広場」の一つとなったのは1918年。1922年になると、広場には、内戦で命を落とした赤軍兵士に捧げる記念碑が建てられた。現在は、この記念碑の他に、ソ連時代に破壊された後、2000年代初頭に再建された壮大な聖ミカエル大聖堂を目にすることができる。

8. クールスク

 公式の歴史によれば、クールスク広場(ロシア南東部)は19世紀末の火災の後、再建された。焼け落ちた住宅や要塞の残骸があった場所に、中央広場が作られたのである。女帝エカテリーナ2世は広場の名前を、モスクワと同じ「美しい」という意味で、「赤の広場」とすることを承認した。

 ここには練兵所と行政機関が置かれていた。後に、広場には新たな建物が立ち並ぶようになり、「ズナメンスカヤ広場」と改称されたが、ボリシェヴィキが登場し、また歴史的な名称に戻された。

9. エレツ

 エレツはリペツク州(中央ロシア)の小さな街であるが、12世紀半ば以前に創建されたロシア最古の都市の一つである。赤の広場は、エレツ要塞の一部であった。この名称から、地元の人々は、一度ならず敵から街を守った防衛者たちが流した血を連想している。現在は、中心部の小さなスペースで、創建850年を記念した石碑が建てられ、古いヴォスクレセンスキー教会(復活教会)の基礎が残っている。

10. タガンログ

 ロシア南部の都市タガンログの赤の広場は中央市場とスタジアムとチェーホフの銅像の間にあった。広場には一面に露店が並んでいる。ちなみにここに露店が並ぶようになったのは、19世紀半ば、広場がまだ、アレクサンドル1世(1825年にタガンログで死亡した)にちなんでアレクサンドロフスカヤ広場と呼ばれていたときからである。この広場がボリシェヴィキによって「赤の広場」と名づけられたのは1923年のことである。

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