もっとも知られたモスクワの呼び名10

Deensel (CC BY 2.0)
 モスクワは何世紀もの間、名前が変わらずにいる数少ないロシアの都市である。しかし、それとは別にモスクワには、その特別な地位と長い歴史を反映した名づけられた非公式な、そして中にはユーモラスな呼び名がある!

1. 大きな田舎

19世紀のモスクワのある地域の光景

 モスクワは、大きな村である。確かにこれは奇妙な響きである。しかし、これはとてもよく使われる言い方で、「小さな世界」と類義語である。モスクワのすべての住人は、村の中のようにお互い顔見知りではない。しかし、信じがたいことに、1,200万人が住む大都市であるにもかかわらず、地下鉄の中で前妻や前夫とばったり会ったりすることがある。まさにこれがモスクワなのである。

 この呼び名のもうひとつの意味は、モスクワの住民の多くはもともと村から出てきた人たちだということである。つまり、多くのモスクワっ子は、1世なのは自分たちだけで、その両親は地方出身なのである。そしてこれは、彼らの習慣や行動、言葉遣いにも都会らしくない「遅れ」がある理由の一つにもなっている。

 「モスクワは村だ」と最初に言ったのはエカチェリーナ2世である。そう、これはおそらくモスクワがサンクトペテルブルクのような計画的につくられた都市ではなかったからだ。しかし、モスクワは初めから都市として創建された。

 トルストイの小説「戦争と平和」に登場するフランス人も同じようにモスクワは村のようだと言っている。しかし、この場合は、褒め言葉である。彼が言わんとしたのは、パリなどの汚い都会と比べてモスクワはフランスの田舎のように素敵だということであった。

2. 第三のローマ

 「2つのローマが倒れ、3つ目がうまれた。そして4つ目が現れることはないだろう」。モスクワについてこう言ったのは、中世の僧、フィロテウスだ。(理屈から言うと、2つ目のローマとは、コンスタンティノープルの事で、ローマの直接の後継にあたる)。モスクワ大公国は帝国であったとしたい人たちはこのように考えている。モスクワは、正教会の信仰の中心地の継承場所であると考えられていた。ツァーリという言葉も、ラテン語の「カエサル」から来ている。

 この16世紀の考え方が19世紀の汎スラブ主義の哲学者の間でもてはやされた。しかし、1917年の革命後は、この意味はなくなった。それでも、ボリシェヴィキ政権はサンクトペテルブルクからモスクワに首都を移した。

*第三のローマについてもっと知りたければこちらからどうぞ。        

3.7つの丘にある都市

モスクワのヴォロビヨーヴィ丘にて

 モスクワ中心部はいくつかの丘の上にある。実際に丘の数は7以上あるが、ローマがかつて「7つの丘の上にある都市」と呼ばれており、モスクワは第三のローマになりたかったため、「主な」7つの丘―ボロヴィツキー丘、スレテンスキー丘、トヴェルスコイ丘、スリーマウンテン丘、タガンスキー丘、レフォルトフスキー丘、ヴォロビヨーヴィ丘に注目した。それゆえ、街のあちこちで異なる起伏があり、自転車通勤やただ歩くのも困難なものにしている。その代わり、これらの丘の上から見る景色はとても素晴らしい。

4. 最初に戴冠された

17世紀のクレムリンの光景

 この呼び名は文字通り、「最初に戴冠された都市」、すなわち、最初の首都であることを意味する。サンクトペテルブルクを建設したピョートル大帝が首都をモスクワからサンクトペテルブルクに移した18世紀にこう呼ばれ始めた。しかし、モスクワの名誉を保つために、最初のロシアの首都であり、ロシアを統一した都市、最初の皇帝が戴冠した場所として讃えられている。 

5.黄金ドームの

 黄金ドームの都市という呼び名の起源は中世にまで遡る。街中に小さな木造の建物が見られた15〜16世紀にこの名前は現れた。高い建物といえば教会だけで、クレムリン内のイワン大帝の鐘楼がもっとも高く、それより高い建物をつくることは許されなかった。その頃、ロシア正教の教会の数多くの黄金ドームは街のどこからでも見ることが出来た。

6.白い石の

19世紀のクレムリンの辺りにて

 今日のモスクワといって連想するのは赤である。それはソヴィエトの「赤の」帝国の首都であり、「赤の広場」や赤レンガ製造りのクレムリンや他の同じような建物があるからである。しかし、ドミトリー・ドンスコイがモスクワに建設した石造りのクレムリンは石灰岩が使われたため白かった。その白い石が赤レンガに替えられたのは16世紀になってからのことである。しかしながら、多くの石造建築、特に教会は、白で作り続けられた。そしてモスクワには「白い町」と呼ばれる別の防御壁があった。18世紀になると、エカテリーナ2世はこの城壁を破壊させ、その場所には環状道路が作られた。

7.5つの海の港

モスクワのノース・リバー・ターミナルにて

 地図を見ると、モスクワはまったく海に面していないことが分かる。ではこの呼び名は一体何を意味するのだろうか?この比較的新しい呼び名はモスクワとヴォルガ川をつなぐモスクワ運河の竣工式でスターリンによって使い始められた。このソ連時代な巨大事業が完成すると、船から降りることなく、5つの海―黒海、白海、バルト海、カスピ海、アゾフ海に出ることが出来るようになったのである。 

8.ゴムではない

 「モスクワはゴムで出来ていない」。この言葉は、1990年代には至るところで聞くことが出来た。これは、この都市は際限なく広がって、移り住みたいと思っている人たちすべてを受け入れることは出来ないという意味である。この言い方は明らかによそ者嫌いというニュアンスがあるが、生粋のモスクワっ子でない人たちも頻繁に使う。彼らはずっと前にモスクワにやって来たのだが、新しい人たちがやってきて、黄金の丸屋根に照らされる場所を奪い合うことになるのを嫌っているのである。

9. ポナイエハフスク

ベラルースキー・ターミナル駅にて

 これは、「ゴムではない都市」の別の言い方だ。これもまた、より良い生活を求めた多くの人がモスクワにやって来るのを快く思っていない高慢なモスクワっ子の考え方を表している。また新たに誰かがやってきたとき、「ポナイエーハリ!」(また来たか!の意)と言うのである。

10. 初期設定の都市

 モスクワっ子はまるで、世界にはモスクワ以外の町や時間帯などないかのようにふるまう。「モスクワ環状道路」の外側には何も住んでいない」という冗談さえあるのだ。オンライン会話で街の名前を言わずに質問をしたり、どこの街かをはっきりさせずに通りの名前を口にしたりするのは、間違いなくモスクワっ子だ。地方の人は、「初期設定」の都市に住んでいると考えているモスクワっ子を茶化して、こう呼ぶようになったのである。実際、モスクワ出身でない人の多くは、モスクワをこき下ろすのが好きだ。かわいそうに、モスクワは「真のロシア」ではないとしばしば言われてしまう。かくして、この皮肉っぽい呼び名はとても分かりやすいのである。

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