1. エリツィン・センター
ボリス・エリツィン大統領センターは2015年、エカテリンブルクに開館した。ここには、ロシアの初代大統領が生まれた地方の行政府が置かれており、初代大統領と近代ロシア史の遺産が保存、研究され、一般にも公開されている。
メインの建物は博物館となっており、エリツィンが実際に使っていた多くの物品、例えば、大統領専用車や、1999年12月31日に辞意を発表したクレムリンの執務室を忠実に再現したレプリカなどを展示している。
現時点で、センターには9つのホールがあり、見学ツアー、講義、様々な映画祭を催している。また、ショップやカフェを併設した美術館もある。
センターの建設には70億ルーブル(建設期間は為替変動が激しかったためドルに換算するのが難しいが、2015年11月時点ではこの額は100億ドル以上に相当する)もの費用がかかり、半額以上はロシア政府によって賄われた。設計はアメリカの有名設計事務所の1つであるラルフ・アッペルバウム・アソシエイツが担当した。
2. 旧鉄道駅
1879年に建設された素晴らしい鉄道駅。この駅はエカテリンブルクから300キロ離れたペルミにある駅と対になっている。
最初は民用の駅であったが、1914年(ボリシェヴィキ革命の4年前)に軍人の輸送など軍用のみに使われることになった。現在は駅としての機能はなく、この地方の鉄道システムの歴史を展示する博物館となっている。
3. セバスチャノフ・ハウス
地元の伝説によると、この館の持ち主は、宮殿のようなこの建物の向かい側にあった小さなみすぼらしい家に住んでおり、いつもこの館の美しさに見とれていたと言う。この話はロマンチックにかなり誇張されているが、ロシア帝国の官僚であったニコライ・セバスチャノフはこの館を大変気に入っていたので、この館に贅沢な改装を施し、今のような外観にした。
セバスチャノフが昇進し、サンクトペテルブルクに転勤して行った後、この建物は国によって買い取られ、後に地方裁判所として利用された。1917年の革命後、ここは全エカテリンブルクの最初のボリシェヴィキ会議の舞台となった。屋上には「労働者階級に栄光あれ」との印が掲げられた。
2009年にこのセバスチャノフ・ハウスでは上海協力機構のサミット会議が開かれた。
4. エカテリンブルク・オペラ・バレエ劇場
1904年から1912年にかけて建設されたこの建物は、ロシア人建築家ウラジミール・セミョーノフの代表作である。彼は、その後、妻がボリシェヴィキと通じていたという疑いで帝国政府によって家族とともに国外に追いやられた。皮肉なことに、エカテリンブルクの労働者及び兵士評議会の代表たちがエカテリンブルクとウラル地方におけるソビエト権力の設立を宣言したのがこの建物だった。
国外追放から戻った後、セミョーノフは1932年から1934年までモスクワの主任設計士となった。これは1917以降に設けられた高位の役職である。
5. エカテリンブルク・サーカス
1980年にこの印象的な建物が建設される前にも、エカテリンブルクには木造のサーカス小屋があった。しかし、1976年にこの小屋は焼失し、現代的な建物の建設が始まった。
完成時、この新しいサーカス小屋はサーカスのさまざまな演目に適したソ連で最高の小屋の1つになると考えられていた。
この建物の特色は、半アーチでつくられた白いドームである。
6. スヴェルドロフスク市評議会ビル
この建物はエカテリンブルクの代表的ランドマークである。1917年の10月革命前、この場所には帝政ロシア時代の市場であるゴスチヌィ・ドヴォールがあった。後に旧建築(今は存在しない)はウラル地方博物館の地域別館になった。
1930年代には大きな変化があった。古い建物は徐々に改修されていき、ついにまったく新しく生まれ変わった。改修期間は1954年まで続き、五芒星が光る尖塔を頂いて完成した。スヴェルドロフスク市評議会ビルをこの町で一番のランドマークにしたものはこの61メートルの高さを誇る尖塔だ。
現在、この建物には市行政府と立法府である市議会が入っている。
7. 全聖人教会
この現代的な教会は2000年から2003年にかけて建設された。この教会はロシアの信者及びロシア文化にとって特別なものだ。というのも、教会が建つ場所は、1918年の夏、ボリシェヴィキの手によって最後のロシア皇帝ニコライ2世一家が処刑されたイパチェフ館があったところであるからだ。
イパチェフ館は1977年、当時地元の党書記長でソ連崩壊後にロシアの初代大統領になったボリス・エリツィンの命令によって取り壊された。
それにもかかわらず、巡礼者たちはこの場所を訪れる。2003年ロシア正教会は新しい教会とロマノフ一家を偲ぶ建物を完成させた。
8. 商人アガフロフの館
ボリシェヴィキ革命以前、アガフロフ家の3兄弟はエカテリンブルクに住んでいた。彼らの父であるヒサメトディン・アガフロフは1870年代に小さな貿易会社をつくり果物やたばこを扱っていた。
1883年にヒサメトディン・アガフロフが亡くなったとき、息子たちはロシア帝国の他の町にまでビジネスを急速に拡大した。慎ましやかな貿易会社をエカテリンブルクだけでなく帝国の隅々にまで知られた大商社にまで発展させた。兄弟たちは金、銀、香料、狩猟道具、靴、文房具の他人気のある商品も扱い始めた。
ボリシェヴィキ革命後は、大きくなったアガフロフ家は、まずは日本、そして革命に反対する多くの白系ロシア人が平和に暮らすため移住したハルビンにまで手を拡げた。かつては繁栄した会社はその後すぐにたたまれたが、アガフロフ家の遺産は今日までエカテリンブルクに残っている。
この商人一族に関して最も重要なものの1つが、3兄弟の1人、ザイネッディン・アガフロフがかつて所有していたこの商人の館だ。
9. エカテリンブルク・アリーナ
2014年の冬季五輪と2018年のFIFAワールド杯を前に、ゼロから建設されたソチにあるフィシュト・スタジアムとは違い、このアリーナが最初に造られたのは1950年代のことだ。しかし、古い建物は2006年から2011年にかけて大規模改修され、今では世界中のサッカーファンが知る現代的なランドマーク、エカテリンブルク・アリーナに生まれ変わった。
このエカチテリンブルク・アリーナではワールド杯の4試合が行われ、フランス、エジプト、ウルグアイ、ペルー、日本、メキシコ、セネガル、スウェーデンの代表チームがここで戦った。
10. オーロラ・ビジネス・センター
円形をした現代的な建物は、他に例を見ないほど躍動的であるため、旅行者も住民も必ず視野に入れないわけにはいかない。正面には数々の色とりどりのパネルがはめられモザイクのように見えるからである。
この建物の設計者はドイツ人芸術家ゲルハルド・リヒテルの作品に啓発されたという。彼の作品、「1024 Colours」を観て、ぜひ自分で確かめてみて。