マイクロバス「ブハンカ」が、フロントガラスを叩く雪と格闘してすでにまる1時間以上経過していた。中国人観光客の2人(男と女)はあらん限りの力で、座席の取っ手を握り、そして互いに捕まりあっていたが、それでもときどき倒れている。運転手は満足そうに両サイドを見て、「美しいというよりもウィンドウズの壁紙そのものだな」とつぶやく。
「リヴァイアサン」ビジネス
ロシアの映画監督アンドレイ・ズヴャギンツェフの「裁かれるは善人のみ」は2014年に公開され、「ゴールデングローブス」賞を受賞、またカンヌ映画祭でも賞を授与されたほか、アカデミー賞最優秀外国語映画賞にもノミネートされた。映画のストーリーでは、北方の村に住む酒びたりのニコライの人生が崩壊していく。彼は自分たちの家を取り壊すという国の前に無力さを思い知らされるのである。その人生ドラマは、ズヴャギンツェフ監督が長い時間をかけて映し出していく、陰鬱で、余計なものが一切ない北方の自然の景色によってますます深みを増す。
この映画は、ロシア国内で熱い議論を呼んだが、しかし映画が撮影されたテリベルカ村に行き、その村が一体どういう場所なのかを自分の目で確かめてみるのは面白いと誰もが思ったのである。
1年半前、テリベルカの人気が急上昇するのを背景に、エヴゲーニーは彼女のタチヤナを連れて、ムールマンスクからこの村に引っ越してきた。荒れ果てた家と野良犬のライマというおまけつきの土地を購入すると、建物に少し手を入れて、ホステルを開いた。料金は、1泊1300ルーブル(およそ2,200円)である(ちなみにこの村にはもう少しグレードの高い新しいホテルがありそちらは1泊6,500ルーブル(およそ11,000円)である)。
ホステルには暖かいペチカと4つのベッドが置かれている部屋が2つ、近代的なシャワールーム、そしてキッチンにはトウガラシ入りのウォトカが1瓶あった。エヴゲーニーは、ウォトカはすぐに飲まなければならないと言った。風邪予防のためだけでなく、オーロラ見学を成功させるためでもあるという。
春と夏には釣りをするため、あるいは「裁かれるのは善人のみ」のロケ地めぐりやフェスティバルのためにロシア人観光客がこのテリベルカにやってくる。一方、冬はというと、映画のことなど何も聞いたこともない中国人がオーロラを一目見ようとホステルにやってくることが多いという。
エヴゲーニーは中国人観光客をスノーモービルまたは自動車に乗せて、ビーチを走るのだが、自動車は踏破力が鈍ってきており、よく動かなくなるのだそうだ。一方、ロシア人観光客が喜ぶのは隣の半島へのエクスカーションだという。
エヴゲーニー曰く、「ただエクスカーションの宣伝は積極的にはやっていないし、グループ集めもそれほど熱心にはやっていません。エクスカーションでの儲けはないし、機材を借りる費用がかかるだけなんです」。
テリベルカ式エクスカーション
エヴゲーニーはスノーモービルで観光客をエクスカーションに連れていくのも好きではない。スノーモービルは燃料が大量に必要であること。また中国人はこのスノーモービルが大好きで、これにばかり乗りたがることがその理由だ。そこで今日は、中国人女性を自分のマイクロバスに乗せることにしたのだが、文字通り、その数秒後にすべてが予期せぬ終わりを告げたのである。
エヴゲーニーは「エクスカーションはもう終わりです!」と告げると、雪溜まりに突っ込んだ車を引っ張り出しに出た。マイクロバスは家から10メートルほど離れた。わたしとタチヤナはショックを受けた「被害者」に身振り手振りで降りなければならないことを説明する。中国人女性は雪溜まりを通って道に出て、村の向こう側まで乗せて行ってくれる通りがかりの車を捕まえなければならなくなったのである。なんとしても石のビーチや凍った滝を見るために(そのような車に乗るには800–1,000ルーブル(およそ1,360–1,700円)かかる)。
わたしたちはホステルに帰ることにした。タチヤナはキッチンに魔法をかけに行く。まもなく、エビの焼ける匂いがしてきたかと思うと、お皿にカニのはさみなどバレンツ海の海の幸が盛られていく。テリベルカには食事ができる場所が2カ所しかない。ホステルとレストランである。しかしレストランは、タチヤナが言うには、良い評判はなく、あまりに料金が高いとのこと。
なんとかエクスカーションを敢行した中国人女性は、その後、それでもレストランで運命を賭けてみることにした。しかしそこでは緑茶と冷凍のブリンチキ(中に具が入ったクレープのようなもの)が何種類か出てきただけだったという。そこで彼女はやはりホステルに戻って、タチヤナお手製のエビとカニを食べることになった。
The Best Loveと奴隷状態への憎しみ
レストランの近くの海辺に見た目が面白い小さな家がある。その家には「The Best Love」という意味深な言葉が書かれている。
「テリベルカでは、あの映画が出てから新たな波が生まれているんです。ツーリズムです。他に生きて行く手段はありませんからね。しかしそんな観光客など我々に必要なのでしょうか?」と濃くて黒い口ひげをした57歳の原住民の漁師ヴィタリーは憤慨する。ヴィタリーにとってそれは、「ツーリズム業をするというのは奴隷になるようなもの。なぜなら人を喜ばせるというのは、召使になるのも同然だからです」。
とはいえ、やはりお金を稼ぎたいという誘惑が、奴隷に成り下がりたくないという気持ちに勝ってしまうときがあるのだという。そして彼は自分のボートに釣り人や写真家を乗せたり、ボートで海岸までのエクスカーションをしたりしている。
ヴィタリーは3つのものに対して「The Best Love」を感じている。それは漁、ペット、そして女性だ。彼が6番目の妻と5匹の猫と1匹の犬とは問題なくやっているとすれば、彼が生涯続けてきた漁との関係はかなり厄介な問題となっている。
ロシアの法によれば、ヴィタリーはバレンツ海では一定の大きさの魚しか釣ることができない。ハドックなら40センチ、タラなら42センチである。この魚は岸から遠く離れたところに生息しており、ヴィタリーはこれらの魚を捕まえることはできない。そのためには大型船のみに与えられる特別な割当量がなければならないのである。
ヴィタリーさんはある意味で、「裁かれるは〜」のストーリーをそのままなぞっている。彼の話によれば、地元政府はヴィタリーに隣の村の新しいアパートに移り住んでもらいたいと考えているのだそうだ。それはヴィタリーの家が住むのに適さなくなっているからだという。そこで、国は、家と土地を国家のものにしてもらい、そこに新しいホステルやホテルを建設しようと考えているのである。
「しかしわたしはここを去りたくありません。ここが好きなんです。これがわたしの独自のスタイルなのです」。ソ連の絨毯の上に、イコンとロシア国旗とともに貼られた裸の女性のカレンダーをバックにヴィタリーは言った。
そしてカレンダーの女性をうっとり見つめながらヴィタリーは、観光業には反対派しないが、国がわたしに漁を認めてくれた場合に限ってだと繰り返した。
本物のように
灰色のコンクリート製で赤い屋根のついた2階建ての地元の文化会館でも、職員たちは押し寄せてくる観光客と映画の話にうんざりしていたが、しかし皆、ツーリズムは村にとって唯一の生き残る道だと考えていた。
オリガ・ニコラエワ館長は「正直言えば、もうリヴァイアサンにはうんざり。この村の景色は美しいですが、ストーリーは本当につまらない!でもロシアにはもうテリベルカが何かを説明する必要はなくなりましたね」とコメントしている。
その間、地元の司書である年老いたやせ細った女性は、震える手で写真の入ったアルバムのページをめくり、わたしに地元の誇りを見せようとしていた。
ある写真に、1970年代初旬に、地元の漁師たちが捕獲したクジラの口の中に入ろうとしている若者たちの姿があった。司書によれば、そのクジラの頭は、切り落として、地元の観光名所にするのに利用したのだと言う。
ただし、時が経つにつれて、クジラの頭部から悪臭がするようになり、それからその頭をどこにやったのか誰も覚えていないのだそうだ。
「かつて村は漁だけを頼りに生きてきました。5,000人の市民が漁を営んでいたのです」とオリガ・ニコラエワ館長は話す。村には海産品工場があったが、2015年に収益が上がらないとして閉鎖され、学校も同じ理由で閉校された。児童や教師たちは隣村へと引っ越して行った。残されたテリベルカの子どもたちはバスで隣村まで通っており、体育の教員が運転手を務めているのだそうだ。
現在、テリベルカにはわずか617人しか住んでいない。そしてわたしに言わせれば、美しい、そして芸術作品やホラー映画の舞台装飾として使えそうな誰も住んでいない建物が大量に並んでいる。
最後に彼はこう言った。「しかし本物と同じく、すべてが自然です。わたしなら道路も作りませんね。これもこの村の特徴、なくてはならない危険性、冒険性です。それでも観光業は残ります。ただ独特のものになるでしょう」。
*取材に応じてくださった人々の苗字は、本人らの希望により省略してあります。