ロシアには、古代ルーシから現在に至るまで、さまざまな時代の建築物が現存している場所がたくさんある。これらの歴史の証人たちは、モンゴル・タタールの襲来や恐ろしい大火、革命を生き延びた。何世紀も前の建築物のことを知るのに歴史の教科書は必要ない。
ロシア、ヴェリーキー・ノヴゴロド。 リューリコヴォ・ゴロジシェ付近のヴォルホフ川を進む旅客船「ユリイ・バラバン」。
アレクサンドル・チジェノク撮影/インテルプレス/TASSノヴゴロド(モスクワから560キロメートル北)は、ロシア最古の街の一つだ。まさにここで、ルーシ最初の公、リューリクの屋敷の遺跡が見つかった。ところで、ノヴゴロドの中心部には、現存するロシア最古の正教会寺院、聖ソフィア大聖堂(11世紀建立)がある。
ボゴリュボヴォにある公の屋敷の遺跡は、この時代の建物として唯一現存する個人宅だ。アンドレイ・ボゴリュプスキーの屋敷には、寺院や2階建ての御殿、立派な壁があった。伝承によれば、公は自宅で殺害された。その罪を贖うために彼の屋敷に修道院が建立され、公の御殿はその一部となった。
キジ島は、木造建築の驚異の博物館だ。ここでは、14世紀に建てられた木造建築として唯一現存する教会を見ることができる。この島には、ムロムからラザロの復活教会が移築された。ムロムでは、この教会は病が治る奇跡の場所として有名だった。現在は教会として機能していないが、それでも聖ラザロを崇敬する巡礼者らがキジ島を訪れる。
露英の通商の歴史は中世に遡る。首都の中心部(ヴァルヴァルカ通り、4番)にある旧英国館に立ち寄ってみよう。ここには17世紀まで英国のモスクワ会社と最初の外交使節が入居していた。一部は倉として、一部は住居として用いられた。ソビエト時代はここに図書館があった。今日、建物は博物館になっている。
ヴィボルグ市(サンクトペテルブルグから140キロメートル北)のクレポスナヤ通り13番aに、「市民の家」がある。16世紀に花崗岩の巨石を使って建てられたこの2階建ての住居には、現在も2世帯が入居している。この家は何度か改修を経ており、窓が広く取り直され、天井が高くなった。しかし建物そのものは歴史的外観を保持している。
中世ロシアには多くのクレムリン(石造りの防御施設)があった。シベリア併合の時代には、トボリスク(モスクワから2000キロメートル東)に白い石でできたクレムリンが建てられた。全体が残っているわけではないが、現在でも17世紀建立の聖ソフィア・生神女就寝大聖堂、古い石造りの塔、シベリア最初の都の城壁を見ることができる。
18世紀の古典的な建築を満喫できる最良の場所がサンクトペテルブルグだ。新都はロシア国内外の当時最高の建築家らによって建てられ、今日でも壮大な邸宅や華麗な街路の配置が人々の心に建築の歓喜を呼び起こす。ロシアの歴代皇帝がどのように暮らしていたかを知りたければ、エルミタージュ美術館を訪れよう。ここはもともと皇帝の冬宮だったが、革命後はロシアで最も有名な博物館となった。
モスクワは1812年の大火で大きな被害を受け、新たに立て直された。ナポレオン軍との戦争に勝利したことを記念して、凱旋門と救世主ハリストス大聖堂が建てられた。19世紀半ばからは産業が発展した。現在モスクワでは、多くの工場の建物がファッショナブルなロフトやオフィス空間に作り変えられている。製菓工場「クラースヌイ・オクチャーブリ」もその一つだ。今日ここにはカフェと美術館、ナイトクラブ、「ストレルカ」大学が入居している。
ソビエト時代の建物は、レーニン像からベッドタウンの5階建てアパートまで、ロシアにはごまんとある。もちろん、アンピール様式やアール・デコ様式の壮大な建築物もあった。例えば、モスクワの有名な高層建築群「セブン・シスターズ」、ニジニー・ノヴゴロドの通信館、ノヴォシビルスクのオペラ劇場だ。
とはいえ、ソビエト時代には建築的実験もあった。例えば、高山地帯の保養地ドンバイにある、当時大衆文化で支配的だった宇宙ロマン主義の精神で建てられた円盤ホテルだ。今日でもホテルとして営業している。皆さんはここで休日を過ごしたいと思うだろうか。
商業センター、モスクワ・シティーは、すでに赤の広場やボリショイ劇場と並ぶ街の名所となっている。ここに立つ高層ビル群は、ほとんどモスクワのどこからでも見ることができる。
モスクワはコントラストの街だ。そしてこれがその証拠写真である!
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