キネシマ:このロシアの都市には帝政時代の商人のような生活

アンナ・ソロキナ
 この都市は、中世の町の雰囲気を残し、今日、観光客に人気の場所である。

 ロシアの商人たちは、何世紀も前にどんなふうに暮らしていたのだろう?元々の形で古い建築が残っている場所は国内にもそんなに多くはない。イワノヴォ州(モスクワの西400km)にある15世紀の都市キネシマは、毎年、数千人の観光客を惹きつける格別の場所だ。5月に始まるクルーズ船は、3-18時間ここに停泊し――ヴォルガの船旅の中でも桁違いの逗留となっている。

古い商人の家々

 キネシマはモンゴル人の略奪とイワン雷帝の“オプリーチニナ” 、ポーランドの侵略を生き延び、さらに、大祖国戦争の際にも被害を受けなかった。木造建築の町は、幾度も火事で焼け落ちたものの、石造りの建物は、むしろ良い状態で残り、同じく当初からの通りのレイアウトも保持された。キネシマの街の中心部は、ロシアの歴史的な場所のひとつとなっている。だから、文字通り18世紀へと旅することができるのだ。

 壮大な教会群以外にも、二階建ての典型的な商人の家々を見てほしい。一階は石造りの床で、家事用の場所となっている。家の主人たちは、居心地がよく暖かい階上の木の床の部屋で暮らしていた。レーニン通りでは、多くのこうした家を見ることができ、その中には現役で使用されているものもある。

 一風変わった家もある。例えば、ソビエト通り(29-33)の建物はかつて、19世紀末に「街のオーナー」と呼ばれていたピョートル・バラノフが所有していた。この建物は、ロシア・ビザンチン様式で設計されており、典型的な旧教徒の家の装飾が施されている。

 この都市を歩いていると、赤レンガの煙突と工場に気づくことだろう。それらは、キネシマが、織物と皮革製品で有名だった時代を彷彿とさせる。地元の歴史家たちは、あのネルソン提督もキネシマ製の帆を使って航海したのだと語ってくれる。

ヴォルガ並木道を歩く

 「キネシマ」は、「深く暗い水」と訳される。確かに、水は、この都市の商業と生活にとって長いこと重要なものである。歩行者のこのメインストリートは、この地の川の名をとって名づけられた。ヴォルガ並木道は、ヴォルガ川の堤防の真上にあり、河港に始まり、主要な場所を通っている。この並木道は、地元住民にとっても、観光客にとってもお気に入りの道だ。穏やかなヴォルガの素敵な眺めを楽しみ、見晴らし台のひとつで休憩をする。ここには、ロシア料理や地元の珍味を食べることのできるレストランもある。

ワレンキ博物館

 この博物館は、この地の職人一族であるソコロフ家によって、2012年にフルンゼ通り6番地にオープンした。ここには、ロシア最大の“ワレンキ”のコレクションがある!ワレーリー・ソコロフは、世界最小の冬用ロシアブーツを作った――なんと、わずか6㎜だ。さらに、168cmという最長のものもある。ロシアの伝説的な「ノミの靴を作ったレフシャ」をご存じだろうか?さて、ワレーリーはといえば、馬にコペイカのコインを履かせたのである。

 「ワレンキ」が手作りされるのを見てほしい。ウールを重ねていくとブーツが仕上がる。ツアーを行うのはワレーリーの娘のスヴェトラーナだ。彼女も、妹と一緒にワレンキを作っていて、手作りのワレンキを作る秘訣も教えてくれる。

ディスカバー・アメリカ

 ニコーリスキー橋を渡って反対側には、「アメリカ」という名の地区がある。この名は20世紀初頭につけられた。伝説によると、ここは街の中心部と深い森で隔てられており、その道のりは容易ではなく――アメリカに行くようなものだった。また、富農たちが他の地へ行けと追放された後、ここに避難場所を見出したのである。彼らは、アメリカにいるように「裕福な移民」とみなされたのだ。

セヴルゴフの打ち棄てられた邸宅

 実業家のピョートル・セヴルゴフが所有していた1904年の「悦び」という邸宅は、キネシマで最も興味深い建物のひとつだ。古い写真には、堂々とした大理石の階段や高い窓、円柱のある半円形のベランダを見ることができる。今日では、このベランダの床のタイルだけが当初のままの姿で残っている。1917年以降、セヴルゴフはフランスへ亡命し、その豪華な家は、まず共同アパートになり、その後、公的なレクリエーションセンターになった。1990年代からは空き家となっており、改修を待っている。

 ヴォルガ河岸にあるこの屋敷はまた、ぞっとする霊的な印象も醸し出している。住民の中には、幽霊を見たという人たちもいる。2013年には霊能者のグループがここに調査に訪れている。地元の人たちは、かつての美しい邸宅を復活させ、もう一度住める状態に戻してほしいと望んでいる。

アレクサンドル・オストロフスキーの邸宅

 古典的なロシア演劇がお好きなら、シェリコヴォにあるオストロフスキーの屋敷を見逃してはならない。ロシア演劇の父は、ここでほとんどの戯曲を執筆している。地方の裁判官であった彼の作品は、作家が聞いた事件や、商人の家族の実際の人生に基づいている。ここの住人たちは、偉大な作家に敬意を表して劇場に彼の名を冠し、劇場では毎シーズン、彼の戯曲が上演されている。オストロフスキーとその家族は、彼の邸宅に近いニコロ=ベリョースキの教会墓地に埋葬されている。

ヴォルガの船旅

 この土地の自然の美しさに魅了されたオストロフスキーは、ここを「ヴォルガのスイス」と呼んだ。小高い川岸、絵画のように美しい森、暖かく心地よい家。もし自然が大好きなら、駅の近くにある松林から散歩を始めるといい。映画監督アンドレイ・タルコフスキーが生まれたユリエヴェツまでドライブし、彼の博物館を訪ね、周囲を散策することもできる。

 もっと見たいという人は、ボートでヴォルガ川を探検するといい。5月から9月までは川下りのツアーがある。丸一日時間がとれるのなら、ロシアの画家イサーク・レヴィタンにインスピレーションを与えた場所、プリョスへのクルーズに参加するといい。クルーズやツアーの申し込みはツアーセンターでできる(ソビエト通り、1/2)。

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