ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが重い病気であるという噂が、ドイツで流布し始め、1936年9月には、「新世界」つまりアメリカにまで広がった。新聞各紙の推測によれば、スターリンの健康状態は非常に悪く、今後も国を支配し続けることはおぼつかず、権力闘争がクレムリンを揺るがしているという。
しかし、ソ連政府は躍起になってこの噂を打ち消した。スターリンは事実、ずいぶん長いあいだ公衆の前に姿を現さなくなっていたのだが、これを別様に説明した。つまり、スターリンは休暇を取っているというのだ。モスクワ南方1500キロの、黒海沿岸のリゾート地、ソチで休んでいる可能性が高い、と。
スターリンの蠟人形、別荘のシネマホール
Reutersしかし、火のないところに煙は立たず。いずれの説も実は正しかったかもしれない。スターリンは実際に、関節と肺に問題があり、ソチのマツェスタ硫黄泉での湯治をしばしば行っているからだ。しかし、ここで最も重要なのは、まさに1936年に、ソチに彼の新しい別荘が完成していること。
奇妙に思えるかもしれないが、来年2018年、あの恐るべきスターリン自身がかつて泊まっていた部屋に、チェックインすることができるようになる。その部屋の「主人」が世を去って久しい。スターリンの隠れ家だった別荘の管理者は、空いている部屋を開放し、ここで休暇を過ごしたい人に賃貸しすることにした次第。
スターリンの別荘は、明るい緑色の複合施設で、丘の上にある。ソチの複合保養施設「ゼリョナヤ・ロシチャ(緑の林)」の真上に位置する。
造りも環境も非常に簡素だ。いくつかの小さな部屋に、古いソ連の家具がしつらえられ、ぼんやりした灯りが、現代の旅行者たちを照らし出す。まさに過去の遺物だが、しかし肝心なのは、この別荘全体が本物であることだ。
「これは博物館ではない。私たちは広告は出さないし、ウェブサイトや現金帳簿も持っていない」と地元の観光ガイドは言う。彼は、この別荘の特別な性格にもかかわらず、その周辺に観光客を案内している。
1953年にスターリンが死去した後、約20戸の別荘があとに残され、使用する人はいなくなった。
脱スターリン主義の立役者である、ソ連指導者ニキータ・フルシチョフは、これらの別荘があった地方自治体の裁量に任せることにした。
その結果、ソチは保養地とみなされていたから、地方当局は、スターリンの別荘があったところに、サナトリウムを建て始めた。1968年には、以前スターリンが使っていたものを含む12の部屋が、最初の訪問者を歓迎することになる。
別荘のシネマホール
Reuters以来、スターリンの別荘は、現在にいたるまで複合保養施設の一部をなしているわけだが、時には、ここの職員に滑稽な問題を引き起こすこともある。
「あるとき私たちは、賓客を受け入れ、スターリンの別荘めぐりのツアーをさせるよう、いきなり命じられた。が、部屋はすべて地元住民によって予約されていた。そこで我々は、宿泊客全員を、急遽案出したスフミ・ツアーに参加させることにした(スフミは、ソチから150キロ西にある、アブハジアの街。アブハジアは現在、事実上の独立状態にあり、数か国に独立を承認されている)。それで、彼らをバスに乗せて、アブハジアに送ったわけだ。その間、賓客たちは、スターリンの別荘を見学した」
ビリヤード・ルーム
Reutersところで今年は、スターリンのソチ別荘の一部が改装中だ。それでも、周辺の見学ツアーを希望する人は、歓迎するとしている。周辺の見学は、建設工事の影響をほとんど受けないからだが、ただし、部屋を賃貸することはしないという。
しかし、翌2018年には改装が終わるので、希望者は誰でも、かつてスターリンとその家族、そして側近たちが使っていた部屋にチェックインすることができるようになる。
会議室
Reutersそして、自由にスターリンのチェスで遊び、彼のビリヤードキュー(彼の不自由な腕に合わせた特注品)を試し、「大元帥」と一緒に写真を撮ることができる…。もっとも、正確には本人ではなく、蠟人形だが。
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