「羽田空港に向けて定刻に離陸」

モスクワ・東京間の定期便は、アエロフロートとJALの共同運航であり、胴体には両航空会社のロゴタイプと社名が記されていた。サービスも両社の従業員が行った。こうした方式は、職業上の経験を交換するのに役立った。=

モスクワ・東京間の定期便は、アエロフロートとJALの共同運航であり、胴体には両航空会社のロゴタイプと社名が記されていた。サービスも両社の従業員が行った。こうした方式は、職業上の経験を交換するのに役立った。=

ボリス・コルジン/タス通信
 2017年4月17日、モスクワ時間で17時15分に、モスクワのドモジェドボ空港から、モスクワ・東京間を結ぶ、記念すべきJL422便が飛び立ち、50年前と同じ航路をたどった。ただしその機体は、当時とは異なる現代のボーイング787「ドリームライナー」だったが。

様々な準備作業を経て

 オセチア出身のパイロット、ハリトン・ツホヴレボフがソ連の旅客機ツポレフ114を東京に無事着陸させて以来、今日で50年になる。これはモスクワ・東京間の初の無着陸飛行であり、一見すると簡単なことのように見えるが、その前には何ヶ月もわたる準備作業が行われていた。

 まず、難しい外交交渉が行われ、その結果として、1966年1月21日に、ソ連と日本を結ぶ直行便開設に関する政府間協定が調印された。実際、この協定のおかげで、シベリア横断空路が開かれ、ヨーロッパとアジアの空が最短距離で結ばれることになった。

 その利点は明らかで、新空路は、これまでの北極を経由するルートに比べると、2500km も短く、飛行時間を10時間にまで短縮した。その未踏の空路を征服すべき、パイオニアの機体としては最適であるツポレフ114が飛ぶことになった。これは当時、世界最大の旅客機とされており、4発のターボプロペラ機で計6万馬力。無着陸で大陸間を飛行していた。

ソ連の旅客機ツポレフ114=ロシア通信ソ連の旅客機ツポレフ114=ロシア通信

 とはいえ技術面では、この飛行の実現はそう簡単ではないことが分かった。新ルートは、ソ連の国防産業が集中している地域を通るため、同国国防省の反対にあった。

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日本側の要求

 一方日本政府も、極めて厳しい要求を出してきた。それは、東京上空の飛行禁止に関するものだった。パイロットのツホヴレボフは、回想録にこう書いている。「日本人が言うには、羽田空港には独特の“癖”があり、それは、地理的な位置関係と地形と気温によるものである。そのため、どんなパイロットでも、初飛行では、東京方面から空港に進入しそのまま一発で着陸できることはめったにないとのことだった」

 ところが、この要求に従うのも――つまり、東京上空を通らずに離着陸するのも――至難なことだった。羽田空港は、東京のすぐ隣にあったからだ。都境から空港までの距離はわずか6㎞。この課題を満たすためには、飛行機は離陸後ただちに、最終ルートに向けて旋回しなければならなかった――非常な低空かつ低速で――。だが、小回りの利かないツポレフ114の巨体では、一見こんな課題はこなせないように思われた。

 しかしツホヴレボフは、必要な計算、推算をして、羽田空港での旋回の半径にうまく収まるように、低速で離着陸するやり方をはじき出した。

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ついに初飛行!

 これを受けて、1966年8月に東京の羽田空港に向けて試験飛行が行われ、その後、新航路の運行準備が完了したことが明らかになった。

ツポレフ114旅客機内=マルク・レドキン、ワシリー・エゴロフ/タス通信ツポレフ114旅客機内=マルク・レドキン、ワシリー・エゴロフ/タス通信

 「こうして、モスクワ・東京間のルートが決まった。すなわち、シェレメチエボ、ネルリ、ヴォログダ、コトラス、スィクティフカル、ハンティ・マンシースク、ポドカーメンナヤ、ヴィチム、エキムチャン、トロイツコエ、エディンカ、スクンド、コドフィシ、新潟、醍醐、佐倉、東京。全行程は8015㎞で、ソ連国内の予備の空港も定められた。ブヌコボ、リャザン(ディアギレボ)、キエフ(ボリスポリ)、レニングラード、ノボシビルスク、ハバロフスクだ。日本国内では名古屋…。我々は幸運だった。全行程にわたって良い天気予報が出ていた。定刻通り離陸し、高度は9000m。飛行は安定しており、乱気流による揺れはなかった。天気も予報通りだったが、私は気分的にはあまり落ち着いていなかった。初めてのルートを飛ぶのは容易でないし、しかも今まで飛行が許されなかったところに行くのだ。夜の帳はすみやかに上がり、シベリアの大平原に夜明けがやってきた。空の色合いが急速に変わっていった。…そしてついに日輪が勝どきを上げるかのように昇った。私はしばしばモスクワ・ハバロフスク間で日の出を拝む機会に恵まれたが、その都度、この二度とない、たとえようのない光景に見とれるのだった」。ツホヴレボフは後に、回想『人生というフライト:ソ連功労パイロットの覚書』にこう書いている。

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アエロフロートとJAL の共同運航

 モスクワ・東京間で運行されたのは2つの機体で、機体番号はСССР-76464とСССР-76470。このルートのために特別な装備がなされていた。定期便は、アエロフロートとJAL の共同運航であり、胴体には両航空会社のロゴタイプと社名が記されていた。サービスも両社の従業員が行った。こうした方式は、職業上の経験を交換するのに役立った。

 現在、アエロフロートは、モスクワ・東京便を、エアバスA330で毎日運航している(エコノミーとビジネスの2つのクラスがある)。東京の空港は、成田空港が使用されており、成田からロシアの各地点に向けて、成田で一括してチェックインが行われている。2015年にはFast Track(出入国優先サービス)が導入され、チェックインと通関の所要時間が短縮できるようになった。

 JALもこうした時間はどんどん短縮している。またモスクワ・東京間には、最新のボーイング787「ドリームライナー」が来年から就航する。

 ハリトン・ツホヴレボフは2014年8月に世を去ったが、この名機長の名を冠したスホーイ・スーパージェット100が就航している。モスクワ・東京の新航路を開いた彼は、「ソ連功労パイロット」の称号を授与された、最初の民間パイロットの一人だ。

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