早くも燃えはじめた泥炭

ロシア国内の泥炭沼の総面積は、56万8千平方キロメートルで、それらは主に、国のヨーロッパ部の北部、西シベリア、カムチャッカに集中している。=Photoshot/Vostock-Photo撮影

ロシア国内の泥炭沼の総面積は、56万8千平方キロメートルで、それらは主に、国のヨーロッパ部の北部、西シベリア、カムチャッカに集中している。=Photoshot/Vostock-Photo撮影

今年はいつになく冬の積雪が少なく春が急に暖かくなったため、モスクワ州の放置された泥炭地では、早くも3月末に火災が発生した。

 たとえば、3月29日、モスクワ州セルギエフ・ポサード地区の泥炭の干拓地では、去年の草へ火が放たれた結果、泥炭が燃えはじめた。

 ロシア非常事態省・自然災害対策センターの予想では、今夏は日照りの夏となりうる。

 仮に初夏までに国内に泥炭火災の火元が断たれなければ、森や町が煙や炎に包まれる事態は避けられない。

 悪条件が重なれば、危険な地帯は、7000以上の居住地に及ぶおそれがあり、モスクワは、4年前のように煙に覆われるかもしれない。

 

ロシアは泥炭の宝庫

 ロシア国内の泥炭沼の総面積は、56万8千平方キロメートルで、それらは主に、国のヨーロッパ部の北部、西シベリア、カムチャッカに集中している。

 泥炭は、湿度が高く空気が通らない条件のもとで半ば分解された沼地の植物からできる可燃性の有用鉱物で、その主なエコロジー的機能は、炭素の蓄積だ。

 また、泥炭は、天然の水のフィルターの役割を果たし、混合物や重金属を吸収する。

 ロシアにおいて泥炭の採掘がとくにさかんに行われたのはソ連時代で、1975年には、他国の生産量をすべて合わせたよりも多い9千万トンの泥炭が採掘され、ソ連に次いで二位と三位のフィンランドとカナダの生産量は、それぞれ100万トンにすぎなかった。

 泥炭は、エネルギー経済において、燃料および化学工業の原料として用いられている。たとえば、1913年、ロシアには、世界初の泥炭で稼働する発電所が建設された。また、農業においても、植物用の肥料や鶏や家畜のための敷物として広く利用されてきた。しかし、ガス工業が発展すると、エネルギーを得るための泥炭の利用は、割に合わなくなっていった。

 

見捨てられた部門

 泥炭の需要が減ると、かなりの数の泥炭採掘地が放置された。その総面積は定かではないが、何十万ヘクタールにも及んだものと思われる。

 泥炭は、気温が50~60度で湿度が40%以下だと自然に発火し、燃える条件がそろわなくとも四季を問わず燻ぶる可能性がある。

 2002年、ロシアにおける泥炭火災は、春の増水の時季になってようやく完全に終息した。泥炭は、雪の下でも燃えつづけていたのである。

 

空前の泥炭火災

 泥炭火災の最も恐ろしい結果は、スモッグの発生で、2002年、モスクワ市内の視界は、燃える泥炭の煙のために50~300メートルにとどまった。

 42年前には、ロシアにとっては高い気温(35,7℃)が続いたうえに降雨量(モスクワおよびモスクワ州では一夏で126ミリメートル)が少なかったため、ロシア・ヨーロッパ部の10以上の州が火災に見舞われ、火災の総数は4万にのぼった。

 数十年後、歴史は事実上繰り返され、2010年7月末、ロシア西部のモスクワ州、および、キーロフ、トヴェリ、カルーガ、プスコフ、エカテリンブルグの周辺では、深刻な火災が発生した。ロシアにとって、2010年の夏は、気象観測史上最も暑い夏となり、三ヶ月間に22回最高気温の記録が更新された。気温がひじょうに高く、空気もからからに乾燥し、モスクワでは、一月間、一日の最高気温が30度以下にならず、7月の降水量は、平年の90ミリメートルをはるかに下回る13ミリメートルにとどまった。

 2010年の自然災害により、ロシア国内では60人が死亡し、約2500棟の建物が焼け、134の居住地が火災による害を被り、そのうち8つの居住地が完全に焼失した。

 2010年の火災を受けて、干拓された泥炭沼に水を被せる作業が開始された。元の泥炭採掘地を水没させることは、泥炭火災発生の脅威をとりのぞくための最も有効な手段の一つである。しかし、発火は、多くの場合、春に去年の草へ火を放ったり火の始末をおろそかにしたりする人間の所為で起こっている。火災を防止できなければ、火元をいち早く発見するしかない。