偉大な銃器開発者ミハイル・カラシニコフはアルタイ県に生まれた。幼少期から機械に興味を持ち、赤軍入隊後にその開発者としての才能を開花させた。
戦車兵だった彼は19歳の時、トカレフ拳銃を戦車砲塔の銃眼から射撃できるように改造を施した。また、戦車用エンジンの作動状況を示す計器を開発し、エンジンにかかる様々な負荷を正確に計測可能にした。この装置は、ゲオルギー・ジューコフ将軍も高く評価した。
第二次世界大戦中、カラシニコフは短機関銃と自動装てんカービンを開発。いずれも量産されなかったが、後にAK-47を開発するに至るまでの重要なステップとなった。
カラシニコフは1945年に自動小銃の開発コンペに参加し、彼の設計した強力で信頼性の高いAK-47はソ連軍に採用されることになった。そして、やがて世界中で高い人気を誇るようになったのである。
後年、カラシニコフの指導のもとで多くの火器が設計された。カラシニコフはソ連、ロシアをはじめ国内外で42の勲章やメダルを授与された。ソ連時代には社会主義労働英雄の称号を2度贈られ、2009年にはロシア連邦の称号を贈られている。
2013年、没。