パヴロフは、犬を使った実験で有名で、生理学におけるパイオニアであり、ロシア初のノーベル賞受賞者だ。彼は、消化生理学に関する研究で受賞した。パヴロフについて詳しくはこちらをご覧ください。
メチニコフは、生物学者として名高く、発生学の先駆者だ。「自然免疫の父」とも呼ばれ、血球細胞による免疫機構(細胞性免疫)の存在の証明に寄与した。しかし、「免疫に関する研究」で受賞したとき、彼はすでにパスツール研究所に参加しており、フランスで10年間働いていた。メチニコフの発見について詳しくは、こちらをご覧ください。
イワン・ブーニンは、「散文においてロシア的な典型を継承した厳密な芸術的才能に対して」ノーベル賞を受賞したが、このときすでにフランスに亡命していた。イワン・ブーニンとマクシム・ゴーリキーとの賞をめぐる“争い”について詳しくは、こちらをご覧ください。
セミョーノフは、ソ連で唯一のノーベル化学賞受賞者だ。彼は、イギリスの物理化学者シリル・ノーマン・ヒンシェルウッドとともに、化学変化のメカニズムに関する研究で受賞した。
ソ連で発禁となった彼の大作『ドクトル・ジバゴ』が(CIAのある程度の関与のもとで)西側で出版された後、スウェーデン・アカデミーは、彼の授賞を決定した。理由は、「現代の抒情詩とロシアの偉大な叙事詩の伝統の分野における重要な業績」だった。しかし、授賞決定はソ連でスキャンダルを引き起こし、彼に対する大々的な迫害キャンペーンの末、彼は、賞の辞退に追い込まれた。
1930年代になされた「チェレンコフ放射線」の発見により、3人の物理学者がノーベル賞をともに受賞した。まずチェレンコフは、水中の原子炉が青い光を放射するのに気づいた。その後、同僚らとともにその現象を研究し解明した。
ランダウは、理論物理学の発展に多大な貢献をし、いわゆる「ランダウ学派」の創始者とされている。彼は、凝集系の物理、とく液体ヘリウムの先駆的な理論的研究で知られていた。
レーザーの発明の基礎を築いた2人の天才的物理学者は、「メーザー、レーザーの発明および量子エレクトロニクス分野の基礎研究」によって受賞した。彼らは、同じ分野で研究していたアメリカの科学者チャールズ・タウンズと賞を分け合った。
彼は、叙事的長編『静かなドン』の作者だ。「ドンの叙事詩によって、ロシア民衆の生活のある歴史的段階を描いた表現力」で受賞した。今回は、ソ連当局は受賞を認めた。ショーロホフについて詳しくは、こちらをご覧ください。
この作家は、ソ連の強制収容所(グラーグ)のあらゆる恐怖と自ら闘い、その後、一般読者のためにグラーグの世界を明るみに出した。「ロシア文学の不可欠な伝統を追求した倫理的力に対して」の受賞だ。今度はまた、ソ連当局がソルジェニーツィンに対する迫害キャンペーンを始めた。結局、ソルジェニーツィンが賞を受け取れたのは8年後だった。作家について詳しくは、こちらをご覧ください。
彼は、ソ連の数学者・経済学者で、「線形計画法」の創始者だ。オランダ系アメリカ人のチャリング・クープマンスとともに、「資源の最適配分理論への貢献」により受賞した。
ちなみに、ノーベル経済学賞は、1968年にスウェーデン国立銀行が創立300周年を記念してノーベル財団に働きかけて設立されたものだ。ノーベル財団は、「同賞はノーベル賞ではない」として、「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」と呼んでいる。
水爆の「生みの親」の一人だが、反体制派であり人権活動家でもあった。サハロフは、「ソ連における人権、そしてすべての国家の軍縮と協力のための闘い」により受賞した。5年後に彼は、その政治活動とアフガニスタン介入への批判が理由で、ソ連出国を要求されることになる。
ソ連時代の物理学を代表する人物の一人で、「物理問題研究所」の創設者だ。「低温物理学における基礎的発明および諸発見」により受賞した。
ヨシフ・ブロツキーは1972年に米国に亡命し、英語でエッセイを書き始めたが、依然として非常にロシア的な詩人であり続けた。著名な知識人であり、米国の大学でロシア文学の教授を務めていた。「明晰な思考と詩的な力強さに満ちた、包括的な作品群」により受賞した。
最初にして最後のソ連大統領は、いまだにロシアで最も毀誉褒貶の激しい政治家の一人だ。ソ連崩壊の責任を負っているか、ペレストロイカや言論の自由を称賛するかで、多くの人の意見が分かれている。いずれにせよ、彼は、ベルリンの壁崩壊を引き起こした人物の一人である。「東西関係の根本的な変化において主導的な役割を果たした」として受賞。
ミハイル・ゴルバチョフについて詳しくは、こちらをご覧ください。
著名な物理学者で、ロシア下院議員でもあった。アルフョーロフは、「高速エレクトロニクスおよび光エレクトロニクスに利用される半導体ヘテロ構造の開発」で受賞。ドイツ系米国人の物理学者ハーバート・クレーマーと賞を分け合った。彼も、別個に同じ分野で活動してきた。
ヴィタリー・ギンツブルグは、過去のノーベル賞受賞者であるチェレンコフとランダウの研究に参加している。そして、超伝導現象の基礎理論としてのGL理論(ギンツブルグ・ランダウ理論)の創始者の一人だ。彼らの同僚アブリコソフは、「アブリコソフ格子」(強い磁場の中にある超伝導体において形成される渦状の格子)を発見することで理論の発展に貢献した。
1990年代初頭以来、彼は米国に住んでいる。2人の偉大な物理学者は、「超伝導と超流動の理論に関する先駆的貢献」により、英国出身の物理学者アンソニー・ジェームズ・レゲットとともに受賞している。
物理学者ノヴォセロフは、1990年代にロシアを離れ、オランダでもう一人のロシア出身の物理学者アンドレ・ガイムと出会った。彼らはいっしょに活動するようになり、その後英国に移り、コラボを続けた。彼らはグラフェン(*1原子の厚さのシート状物質)の発見で最もよく知られている。そして二人は、「二次元物質グラフェンに関する革新的実験」でノーベル賞をともに受賞した。
ノーヴァヤ・ガゼータ紙の編集長。フィリピン人ジャーナリストのマリア・レッサとともに、「民主主義と恒久的な平和の前提条件である表現の自由を守るための努力」によって受賞した。ノーヴァヤ・ガゼータ記者のアンナ・ポリトコフスカヤの没後15周年にムラトフが受賞したのは象徴的だ。彼女は、ロシアとチェチェンにおける人権侵害に関する記事などを書いていたが、殺害された。
アレクセイ・エキモフとそのアメリカ人の同僚、ムンジ・バウェンディ(マサチューセッツ工科大学〈MIT〉教授)とルイス・ブルース(コロンビア大学名誉教授)は、「量子ドットの発見と合成」でノーベル化学賞を受賞した。
エキモフは、1945年にレニングラード(現サンクトペテルブルク)に生まれている。彼は常に半導体について研究してきたが、1980年代に気づいた――粒子のサイズが重要なのであり、量子効果中の粒子の輝きや色はそれに依存することさえある、と。
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